須賀敦子とマリオ・ジャコメッリ  「須賀敦子エッセンス1」 (河出書房新社)

まずはジャコメッリの写真を一枚
解説はこのページの下段に書いた。まずは須賀さんの本から。
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須賀敦子のエッセイ集。須賀さんは全集もでているが、付き合いの深かった編集者の湯川さんが選んだ極上のエッセイを簡単に楽しめる。
須賀さんは関西の裕福な家庭の育ちで、1951年に聖心女子大卒。同期に緒方貞子さん、後輩に正田美智子さんがいた。1953年パリ留学。1958年からイタリアで暮らすようになる。1960年からミラノのサンカルロ教会のコルシア・ディ・セルヴィ書店勤務。ここは第二次大戦中レジスタンス運動を行なったカトリック左派運動の中心的存在ダビデ・トゥロルド神父が作った書店だった。そこで働くジュゼッペ・リッカと結婚し、その後様々な日本文学の翻訳活動を行った。1967年に夫が病死し、やがて勤める書店が、当時の世界的な左翼運動の影響で、過激化していき閉店に。その後日本に戻って、大学教授、翻訳、エッセイなどを仕事をされた方である。98年に68歳で病没された。
この本に紹介されたエッセイは、前半が、その書店をめぐるお話。様々な登場人物が、須賀さんと夫の周りに現れては消え、その一つ一つのエピソードが、ミラノの濃い霧の中の物語となって、いつまで深い余韻を残しているのである。どの人物も興味深い、というより、須賀さんのその筆致がすごい。淡々として、愛情をもって、つかず離れずの距離感人物造形していく見事さ。
エッセイの後半は、家族のことを中心に。須賀さんを送り出してくれた、父と母の話。二人の愛憎の物語も包み隠さず、人としての弱さ、強さ、世のしがらみのこと。言葉ではうまく伝わらない心の機微を直截にではなく、美しい比喩と情景描写によって、読者に届けてくれる。話は、夫のペッピーノ(愛称)のことへ。夫の家庭は貧しかった。そして若くして兄が病気でなくなり、まもなく弟もなくなり、失意のうちに父もなくなってしまう。ペッピーノの母と弟と三人で暮らす鉄道職員の官舎のこと。周りの貧しき人々のことが、裕福だった須賀の冷静な視線を通して描かれている。こちらも見事。

「銀の夜」というエッセイは、日本での同僚のデスクにあった一枚の写真の描写から始まる。
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「いちめんの白い雪景色。そのなかで、青い、イッセイ・ミヤケふうのゆるやかな衣服をつけた男が数人、氷の上でスケートをしている。まんなかの二人の人物は、楽しそうに笑いながら、ひとりはこちらを向いて、もうひとりは、横顔を見せ、ふたりの
マントが不思議な三角形をえがいて風に吹かれている。 (以下略)
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須賀ははっと驚く。この二人は…須賀がかつて働いていた書店での仲間たちであった。しかもこの写真には、書店を作ったダビデ・トゥロルド神父の処女詩集の一節がつけられていた。写真家は、マリオ・ジャコメリ。
エッセイはこのあと、神父の思いでへと続くのであるが、ここではジャコメッリのその写真を掲載しておく。

ウィキによる解説は以下の通り:
1950年代から写真を撮り始め2000年にその生涯を閉じたマリオ・ジャコメッリは世界を代表する写真家の一人である。
イタリアの小さな村が舞台の<スカンノ>、死にゆくホスピス老人たちを凝視した<死が訪れて君の目に取って代わるだろう>、若き神学生たちを撮った<私には自分の顔を愛撫する手がない>、<死に行く大地><夜が心を洗い流す>などの代表作。寡黙なる宿命の大地虚無と孤独実存を突き刺す深淵の世界・・・・・
モノクロームと強烈なコントラストで「生」と「死」のあいだを往還する作品は、見る者を遥か記憶の彼方へと連れ出し、心奥に圧倒的な残像をもたらす。

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静かな休日のよい読書となった。


 

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