「1R1分34秒」町屋良平(新潮社) 

 2019年の芥川賞受賞で、素晴らしい小説。20歳過ぎのプロテストに受かったばかりの若いボクサーの話。一人称小説で、寡黙な若いボクサーと、同じ選手でありながら年上でトレーナー役をかってでてくれたウメキチとの切磋琢磨が、スポ根ものとはかけはなれた乾いたつながりの中で、クールに、ハードボイルドに、一瞬燃え上がったり、けだるさの中でまどろんだり。

思考が次々と言葉になり、考えていないことが言葉として表出したり、本人の思いもよらず素直な言葉がでたり、それに驚いたり。飛躍があっても、少しも不自然じゃない、ちゃんとついていける文体は、なかなかのもの。それは手練というよりも、若さがもたらすスピード感と爽快感ゆえじゃないかな。

もうこれで最後になるかもしれない試合が近づいてくる。ウメキチの考えてくれた独自のそして辛いトレーニングとこれまた過酷で計算の行き届いた減量方針で、心と体の限界まで近づいた「ぼく」が、たどりついた境地とは。試合がどんどん近づいてきて、ページもどんどん終わりに近づく。もしかしたらこんなエンディングかなとふと思ったら…

150ページに満たない小説なので、ぜひ読んでみては。これもお勧めの作品です。

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以下は芥川賞選考委員の評:

町屋良平男35歳×各選考委員 作家の群像へ
「1R1分34秒」
中篇 177
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
高樹のぶ子
女72歳
12「見えざる世界を相手に、自らの身体を追い詰めることで自己発見し武装する、というのは古今東西、変わらぬ若者の姿なのだろう。」「身体に限定された繰り返しの表現が、遮二無二に繰り出されるパンチを想起させる。確信的に、書きたいことだけを書いている。」
小川洋子
女56歳
16「彼(引用者注:主人公)が初めてウメキチとトレーニングするシーンの、肉体を通した緻密な会話は忘れがたい。頭脳から遠く離れた場所で、体は圧倒的な美を表現する。言葉の届かないところにこそ書かれるべきものがある、という真実を証明している。」
島田雅彦
男57歳
11「安部公房の短編『時の崖』を思わせる試合中のボクサーの意識の流れが圧巻である。」「技術論と友情のブレンド比も絶妙で、主人公とウメキチのホモ・ソーシャル関係に胸キュンとなる読者も多かろう。」
吉田修一
男50歳
28「平坦な道を歩いていると、ふと詩の欠片が落ちていたような驚きがある。それも仰々しいアフォリズムではない。普段私たちが使い捨てる言葉が、この作者にかかると、小さな花になる。そしてこの花は、実際の花と同様、自分が花だと気づいていないから尚、美しい。」
山田詠美
女59歳
18「文章全体から、この作者、そして登場人物たちの「引くに引けない感じ」が漂って来て胸にせまる。途中、いくつもしびれるフレーズが出て来て、思わず拍手したくなった。」「(引用者注:「ニムロッド」と共に)推した。」
奥泉光
男62歳
16「プロボクサーの日常を徹底して描くことが過剰さを生んで、読者に言葉が迫ってくる。」「同じ作者の前作「しき」ではやや甘さが目立ったが、これは作者の個性なのであって、今回の作品では、ストイックにトレーニングを重ねる主人公を描くなかで、「甘さ」がうまく生かされた。」
宮本輝
男71歳
11「プロボクサーとしてはたぶん今後多くは望めないであろう青年の(引用者中略)ストイックさ、過酷さをひたむきに書きつづけて最後まで読ませる。」「今後の可能性を感じて授賞に反対しなかった。」
川上弘美
女60歳
8「小説の中に書かれていない登場人物たちの会話を、行動を、行った場所を、食べたものを、あざやかに想像しながら読みました。もうそれだけで、いい小説だといえるのではないでしょうか。一番に推しました。」
堀江敏幸
男55歳
19「規定要素の安易な並びがなかった。冴えないボクサーである「ぼく」の語りは、負けた「試合の記憶とビデオの自分の動きとの符号と差異」を、また、ありえたかもしれない結果を幾度も想い描きながら、安楽に負けたいという気持ちを徐々に封じて、厳しい減量に耐える。」「自身を借り物ではない「駄目な飛行機」にしたうえでその先を見ようとする「ぼく」の倫理に、信頼を寄せたい。」

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