「私的応答」井戸川射子(講談社)  これも傑作です

これぞ「純」文学という感じ。最初の15ページほどが1980年編。関西弁の小さい子のの語りなので、ちょっと何がなんだか、という風で、ここで読み手の一部は諦めるかも。1987年、93年、いつのまにか少女はシングルマザーとなり、娘も小学生になろうとしていた。そして、1995年、阪神大震災が起こる。
シングルマザーの銅子と娘の厚美、銅子の母の三人の物語で、ずっと神戸の下町のアパートでつつましい暮らしを送っている。厚美は大きくなり、結婚し息子周吾が生まれ、悩みながら子育てをし、と2024年まで44年間、物語が続く。決定的なのは阪神大震災で、それは親子がともに体験した悲惨。恐怖。でも幸い怪我や死は免れる。トラウマというほどではなく、それでも地震の恐怖は長く心の奥に残っているよう。それ以外は、静かに時間がながれるばかり。女たちの声がずっと聞こえているという印象。銅子の声と厚美の声と、時折、年老いた母の声と、祈るように、呪うように、諦めるように、自嘲するように、関西弁の女たちの低い声がきこえている。その声はすごくすごく正直で、本物で、飾りなく、美しい。

死期迫る母を看護しながら、銅子はつらつらと思う。
「母ちゃんの店の店長も死ぬ前は瘦せていき、母ちゃんは新しく入ってきた商品を、ウェストを絞り飾りボタンをとって差し入れしとった。この人は人を励ますのも何でも服でやるんやと思った。なんでも娘より上手い母親やった」
「私の度重なるだきしめが、母ちゃんの寿命を縮めるやろか。でも母親よりいつものろい娘であるから仕方がない。」

息子の学校での不調を心配しつつ、厚美は思う。
「個人懇談では、何かおうちで自信をつけさせてあげてくださいと先生は言って、教室では、それは無理なんか。丸められた紙が開かれるのを待っている状態とは言えんように、蕾かて花開くのを待っているとは限らんのちゃうか…私が唾飛ばして褒めて、この子をその唾を嫌がるだけやのに。親なんかに好かれて堪るかと。」

ずっとこんな風に、女たちの声が続くのだが、それが、どの一言も耳を傾けるに値する本物の声なのであった。この人の感性はすごいな。

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