窪美澄「トリニティ」

トリニティはキリスト教用語で「三位一体」の意味。神と子と精霊の三位一体が本来の意味だけど、ここでは、同時代を生きた女性3人のそれぞれの生き方というくらいの意味かな。
窪さんは2022年に「夜に星を放つ」で直木賞をとった実力者。その本はこのブログでも以前に紹介している。今日は2019年の「トリニティ」。こちらは織田作之助賞を受賞。直木賞選考会でも惜しいところで逃したみたい。
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物語は、1960年代~70年代の、おそらくは「平凡パンチ」という男性雑誌の編集部を舞台として、3人の女性がこの雑誌造りに関わっていくお話。名物編集長がいて、まだ美大生だったイラストレーターが飛び込みで絵を持ち込みそれが採用されるという有名なシンデレラストーリー。当時若い男性だったかたなら、大橋歩の名前はご存じだろう。窪さんはフィクションですと書いているが、巻末には参考文献として、「平凡パンチ」「アンアン」「大橋歩」「三宅菊子」など関連の本がしっかりと記載されている。
三宅は私は知らなかったが、当時売り出しの若手女性ライターで、平凡パンチやアンアンなどの新しい文体を作り出した人とか。大橋と三宅という才気あふれる新人ともう一人、平凡出版に事務員として雇われた若い女性がいて、この人は他の二人と違って24歳で「寿退職!」をするのだが、そのまま二人と親交を保つ役割。こちらはモデルはいないみたい。ただこの女性の孫がインタビューをする形で、ストーリーは進む。

この当時まさに男性の職場である雑誌編集部に新しい風を送り込み、女性の地位を高め、さらに「アンアン」「ノンノ」などの新しいタイプの女性雑誌を作り出して、一世代を気付いた若い女性たちの戦いがそこにあった。
60年代、70年代の時代背景が書き込まれている。三人がまだまだ無名の頃、新宿騒乱1968年に巻き込まれ、線路に降りて投石を始めるくだりとか、三島由紀夫が編集部を訪れて、その胸毛が気持ち悪かったとか、三島が死んだときの話とか、とってもリアル。
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三人は、このあとどうなっていくのだろうという興味で、次々にページをめくるような結構ひきつける話で、なかなか面白かった。ただし、なんというんだろう、当時の熱気がそのまま伝わっては来ないかなということも感じた。あの頃の雑誌造りの熱気とか、社会全体をとりまく熱気とか、三人とも少し冷めているような感じがあって、これは作者がもう少しストーリーの中に投げ込んで、巻き込んでいってほしかった気もする。どちらかと言えば、三人それぞれの家庭での仕事と家族の板挟み的な話が多かった気がする。下の選評で、林真理子が「ちがうかなという気がした」と書いているのだが、それはかなりきつい意見だと思うが、林とはちょっと別の意味で、私も不十分だと思った次第。まあ、窪さんの書きたかったのは、こうした女性の仕事とか夫との関係とかなんだろうけど。
面白い小説ではあった。そして、三宅菊子の最後は悲しい終わり方だった。

窪美澄女53歳×各選考委員 作家の群像へ
『トリニティ』
長篇 855
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
高村薫
女66歳
15「高度成長期に訪れた「女の時代」を、行き届いた時代考証とともに群像劇にしていて、十分に面白い。」「もともと等身大の女性を描くことに長けている作者が、社会史的な視野を新たに獲得した意欲作だと思う。」
桐野夏生
女67歳
16「資料を駆使して三人の登場人物を書き分けていくと、どうしても年表風になって、虚構が帯びる熱量のようなものが希薄になりがちだ。時代の先端を駆け抜けていったはずの主人公たちに、今ひとつ幸福や華やぎが感じられないのは、そのせいかもしれない。」
宮城谷昌光
男74歳
15「過去形と現在進行形が交差する構成ではあるが、文章がよいので、読みやすい。しかしながら、私はなぜか迫力不足を感じた。小説が計算されすぎていたせいかもしれない。」
林真理子
女65歳
9「モデルとなった女性たちや出版社を知っている者としては、「違うかな」という感想を持った。女性たちの描かれ方もステレオタイプで、当時のあのいきいきとした喧騒が描かれていない。」
浅田次郎
男67歳
20「迷った末に私が推したものは窪美澄氏「トリニティ」である。」「作者の年齢からすると少し前の時代、私をはじめ選考委員の多くにとっては実体験した時代という設定は相当に難しいはずだが、細部までよく考証がなされていたと思う。そしていつものことながら、作者の紡ぐ苦労譚には説得力がある。フレームストーリーをもう少し生かして、バランスのいい構造になっていれば、と惜しまれた。」
伊集院静
男69歳
28「前半部、素晴らしい展開、構成だと感心した。ただ読み進めているうちに、登場する人物がかつて実在した人ではと思うことがしばしばあった。」「六〇年安保の記述で登場人物が洩らした言葉に疑問を抱いた。作家それぞれの政治観、時代観があってしかるべきだが、三人の女性をここまで書き上げているのなら、その洩らした言葉に何らかのフォローがあってしかるべきではと思った。」
北方謙三
男71歳
25「時代的には、私はぴったりとこの作品に重なってしまうのだが、特に違和感や共鳴というものはなかった。」「相当の力業だが、こんなふうにオーソドックスな手法で、正面から切りこんでくる小説が、私は好きである。決選投票では、この作品に票を投じた。」
宮部みゆき
女58歳
18「奈帆という、今現在を挫折しながら生きている女性を案内役にしたのは、読者がスムーズに過去に戻れるようにという計らいと思いますが、そのために全体が長くなり、語りが遠回しになってしまったかなと感じました。」
東野圭吾
男61歳
27「とにかく登場する女性たちの生き様がかっこよかった。男子の流行をリードしていた男性雑誌を、男女差別に耐えながら女性たちが支えていたという裏話も面白い。」「(引用者注:「渦」「平場の月」「トリニティ」の3つのなかで)結局、どれが受賞すれば華やかか、直木賞がお祭りになりそうか、という文学性とは全く関係のない尺度で、『トリニティ』に○を(引用者中略)付けた。」
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