九段理恵『東京都同情塔』『School girl』『悪い音楽』

『東京都同情塔』は2023年下半期の芥川賞受賞作。『悪い音楽』は2021年の文学界新人賞、『School girl』2022年の芸術選奨新人賞。書く作品がほどれも何らかの賞をもらっている稀有な若手作家。素晴らしい才能で、登場人物がこれから何をしゃべりだすのか、どんな行動をとるのか、気になってどんどん先を読みたくなる、そんな作家。ただし、いずれも純文学のジャンルの作品なので、最初が少し読みにくいかも。

『東京都同情塔』は東京オリンピックが2020年に(2021年ではない)に実施され、開会式が行われた陸上競技場はザハ・ハディットの建築によるもので、そのザハの競技場の奥に、東京都同情塔という名前の高いタワービルが建っているという、イフ世界の話。パラレルものであるがそれは設定のみで、テーマもSFではない。このタワーは新しいコンセプトで作られた『刑務所』なのであった。といっても、このパラレルワールドでは罪と罰と刑の観念は大きく変わり、犯罪者はホモ・ミゼラブリス(憐れむべき人)とされ快適なこの塔に閉じ込められてそこで暮らすことになる。
主人公の女性建築家の「私」マキナは同情塔のこの概念について疑問を抱きながら、それを設計することになる。彼女は30代後半で、やがてそこで働くことになる20歳そこそこの若い男性と知り合う。二人の男女の関係は薄く淡く描かれるが、二人の言葉はお互いの中にそれぞれ響きあい、影響を与え合う。特に女性にとって若いタクトは大切な存在になってくる。小説の中で視点が女性と青年とで何度か移り、お互いの姿が鏡像のように描かれる。また建築家がAIと問答するように尋ねてその答えが誠実なアドバイスのように書かれるところも、ごく自然な流れで、違和感がない。
全体的には、意識の流れがつかみにくいところもあって、結構難解な小説だと思うが、どのように結着するのかという興味で読ませる。ただし、かならずしも決着したとはいえないのだが…
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『School girl』は母と娘の話。裕福な家庭なのだろう、父は海外勤務が長く家にいることは少ない。娘は14歳で、グレター・トウーンベリの影響を受けて、環境保護やSDGsなどに関心を持ち、専業主婦で読書くらいしか趣味のない母を薄く侮蔑的に見ることもある。娘はユーチューブで動画発信をしているのだが、多くの人の関心を集めることに苦心している。あるとき母の書棚から太宰治の「女生徒」を見つけてしまう。学校図書館で借りて返しそびれていたと思われる本には母の貸し出し記録が20回にも及んでいた。母について考える、そしてあるとき母と向かい合う…厳しくていい作品なのだが、なんだろう、このあと二人の関係がどうなっていくのか、それをもっと知りたいという感じのところで、唐突に物語が終わる。というか、この本、まだページが半分も残っているのに、突然終わって唖然としたら、なんと中編小説が二つ、という構成なのであった。あーびっくり。
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それで二作目の『悪い音楽』。三作の中では一番わかりやすいストーリー。面白い。プロの著名な音楽家の父の反対を押し切って中学校の音楽の先生になった私。ルームシェアをする女性画家との関係の中で、自分の特殊な性分が明らかになっていく。学校でも、生徒同士の暴力事件に関わりながら、どこ吹く風、頭の中にラップが響いていて生徒の母親になじられたり、自分のクラスの女子生徒と合唱コンクールの意義と音楽性についてぶつかったり。ほんものの耳を持った女性の特殊な感覚が、その孤絶感とともに、狂気じみた世界を押し広げて見せてしまう。クライマックスの合唱コンクールに起きた事件と、その場での自分の模範演奏の部分、物語としてはここは少し書いてほしかったかな。
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九段さん、なかなかの作家だが、まだまだ完成途中という印象。書かれる世界も登場人物の造形も結構特殊で、これからも何を書くのか読み続けたい作家のひとりである。

九段理江女33歳×各選考委員 作家の群像へ
「東京都同情塔」
中篇 216
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
小川洋子
女61歳
33「どうしても私は、建築家の牧名沙羅にも、塔で働く拓人にも人間的な息遣いを感じることができなかった。思考のための言葉ではなく、心からにじみ出てくる声なき声を聞きたかった。」「九段さんが小説の可能性を押し広げてゆく書き手であるのは間違いない。そのエネルギーに敬意を表したい。」
島田雅彦
男62歳
25「作者は実際に生成AIを創作に活用したそうだが、AIにユニークなコマンドを出しさえすれば、生成されたテキストは人並みになる。ただ、私が思うに、このディストピアに生きる当事者たちの狂気や抵抗をもっとアクションとして作品に盛り込んでいたら、より多くの読者のシンパシーを獲得できたはず。」
松浦寿輝
男69歳
50「(引用者注:「猿の戴冠式」とともに)一種の綺想小説でもあり、フィクションの物語を思考実験の器として利用している作品とも言える」「「東京都同情塔」に出てくる生成AIの言語には、徹頭徹尾「人間そっくり」だが、同時に徹頭徹尾「非人間的」でもあるという怖さがある。」「フーコーが分析した「一望監視システム」の刑務所は中央に監視塔がそそり立ち、周縁に囚人房が配されていたが、作者はその真逆の異常空間を構想し、現代社会を諷刺的に撃とうとしている。」
山田詠美
女64歳
12「硬質でAIっぽい文章が続く中、時折、叙情的なパートが魅力的に浮き上がる。」「世界的建築家のサラ・マキナさん、哀しくて憐れでチャーミング。東京都知事にも読んでもらいたいこの発想。同情塔へのパス、欲しいです。」
平野啓一郎
男48歳
31「私が推したのは、『東京都同情塔』だった。」「前回候補作が太宰作品を更新したように、本作は三島由紀夫の『金閣寺』の影響が顕著で、しかもそれをほとんど感じさせないほど、荒唐無稽ながら力強い斬新な世界を構築している。」「すべてが現実にはアンビルトである三つの建築が、この虚構世界を支えている光景には、幻惑的な構造計算がある。」
奥泉光
男67歳
29「東京都同情塔に象徴されるこの日本では、生成AIがなすような言語の平準化が押し広がり、人間は対話性を失い、まさに世界がばらばらになりつつある。これは現実に起こっている事柄であり、作者の批評性が光る。」「犯罪者が「幸福に」暮らすという塔の具体的な成り立ち、仕組についても描いてほしいとの、些かないものねだり的な感想を抱いたものの、受賞作にふさわしい緊密な質感を備えた作品だと評価した。」
吉田修一
男55歳
34「キャッチ―な舞台設定や登場人物たちといったエンターテイメント性と批評性とのバランスが大変良く、作品の中に読者の遊び場がきちんと用意されている。おそらくこれは作者と登場人物(特に主人公の建築家)との距離感のバランスがよいためで、何かを押しつけられるような感覚なく、読者は自身の思いや声が作品の中にも届くような気がするのだと思う。」「今後もさまざまな題材を貪欲に吸収して、多様な世界を書いていける作家だと思う。」
川上弘美
女65歳
22「書きながら、いろいろ、考えたのだろうな、と思いました。なぜなら、小説の言葉が、文章が、読者であるわたしに、よかったらいろいろ考えてみて、と語りかけてくるからです。」「作者はたぶん、ただ、考えてほしいのです。」「すっきりしない時間に耐えて、この小説を結実させた、作者の小説完成欲の強さに、たいへんに惹かれました。一番に推しました。」
堀江敏幸
男60歳
17「紋切り型の言葉の牢獄を前に、「私自身が外部と内部を形成する建築」だとする建築家の自己認識が鈍い光を放つ。近未来ではなく、現代日本を地上百数十メートルから見下ろした虚ろな緊張感が読後に残る。」
他の候補作
 

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