『荒地の家族』佐藤厚志(新潮社)

2022年下半期の芥川賞受賞。この回は井戸川射子の『この世の喜びよ』も同時受賞だった。
小説の方法としては、やや古いリアリズム基調で、最近の受賞作だと、『バリ山行』をちょっと思い出した。ただし、なかなか面白いのである。
舞台は宮城県の亘理地方。主人公の40歳くらいの男性が、植木屋をしながら、小学生の男の子を育てている。妻は震災後2年して心労と肺炎でなくなっており、その後再婚した相手も死産した直後に家を出て、二度と会ってくれない。仕事はやってはいるものの、体力的にもかなりきつくなっている状況。幼馴染の一人がやはり震災で妻子を亡くし、今は重病を患いそれでも犯罪に手を染め始めている。その他、主人公を取り巻く友人や近所の人や、仕事の仲間などとの関りの中、生活に追われる姿が描かれる。どの登場人物もごく普通の市井の人ばかり。知的な会話とかスノビズムとか社会批評とか、政治の話とか、全て排除されていて、ある意味「貧しき人々」の話になっている。

強い責任感を持ち生きている一人の男。報われず年をとり、不幸を背負いながら生きていく姿と、あの無情で不条理な、莫大な数の死をもたらした震災とがシンクロして、あの日の暗い雪雲のかかった宮城の空の色と重なっていく。なかなか辛い記憶である。暗い話なのだが、小説としては、過去の思い出がときどきフラッシュバックして全体像が分かるという構造で、それぞれに小さな事件も起こり、ストーリーの流れもよく、次々とページをめくらせるうまい作家だと思う。よくできているし、なにより、震災とそれ以後の10数年の個々人の小さな歴史の一つずつを、丹念に描いている作品である。

佐藤厚志男40歳×各選考委員 作家の群像へ
「荒地の家族」
中篇 212
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
小川洋子
女60歳
34「(引用者注:「この世の喜びよ」と共に)丸をつけた。」「主人公は家を出て行った元妻に執着し続け、友人の明夫は密漁に手を染め、自殺する。危うい境界線から、狂気の側に落ちてしまわないよう、どうにか日常にしがみついている人々の姿が、荒地の中に浮かび上がってくる。」「この小説は、東日本大震災を文学として記すためにはどうしたらいいか、一つの道筋を明示している。」
平野啓一郎
男47歳
10「候補作中、最も深い感銘を受けた。復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く反面、スタイル的な新鮮さには乏しく、受賞に賛同したが、本作を第一には推さなかった。」
島田雅彦
男61歳
14「人は己が無力を感じながらも、絶望的状況にひたすら耐え、誠実を尽くそうとするその態度によって救われることもある。それを態度価値というのだが、本作のテーマはこれに尽きる。ただ、美談はしばしば、現実のネガティブな部分を隠してしまう。」
山田詠美
女63歳
14「震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。そして、同時に、小説のセオリーを知り尽くした書き手だと思った。」「悲痛な日常を書いてなお、小説としておもしろいのである。頭、まっ白になった「逆」浦島太郎に幸あれ、と心から思った。」
川上弘美
女64歳
9「正視するとつらいさまざまな事々を、つらさの強調にも安易な解決にも向かわせず、公正に描ききるという、胆力の必要な作業を経た作品だと思いました。」
吉田修一
男54歳
41「読後、胸に熱いものが込み上げてきた。フィクション/嘘が必死にもがいて掴みとった本当がここにはあった。」「誰も悪くない。主人公は思う。あの天災も、その後の苦労続きの人生も、誰が悪いわけじゃないと。ただ、口にするのは簡単なこの言葉を真の意味で受け入れることの苦しさ、悔しさ、寂しさが、本作からは真っ直ぐに伝わってくる。」
奥泉光
男66歳
16「リアリズムの技法を徹底することで成功した。」「リアリズムの技法は、物語というものが必然的に身に纏う陳腐さを際立たせてしまう危険があって、本作もその難を免れていない憾みはあるとは思ったけれど、受賞には賛成した。」
松浦寿輝
男68歳
22「過去の挿話の断片が間歇的かつ反復的に甦ってくる書きぶりが非常に巧みで説得力がある。とはいえ、本作をめぐって「真っ直ぐ」「真面目」「真剣」「真正面から」「ど真ん中の直球勝負」などという言葉が飛び交ったものだが、そのどの評言にも含まれる「真」の一字に対する違和感を、わたしは払拭し去ることができなかった。」
堀江敏幸
男59歳
19「一人息子を遺して逝った妻、流産ののち家を飛び出した二度目の妻、因縁のある同級生や周囲の人々の交わりを経て、彼(引用者注:主人公)はようやく忌まわしい竜宮城から持ち帰った筐を開ける。出てきたのは煙ではなく、知らぬ間に大きくなった息子の笑いである。笑いに宿った喜びを、読者も分かち合う。」


 

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