市川さんが受賞されたときの報道が、やはり「障碍者」のイメージが前面にでていて、本を手に取るのを少しためらってしまって、そのままになっていた。差別的なものではなく、なんとなく社会的メッセージがあってそれを受け取るのがしんどい、みたいな。
馬鹿だった。これは本当に素晴らしい小説だったな。もちろん障碍が前面にでている、そのことについて意識的にたくさん書かれている。でもそれ以上のものが、あふれ出てくる。強い意思、強い反骨、はもちろんのこと、障碍者も健常者もなにも違いなく、心にあるもの精神にまとわりつくもの、生理的嫌悪と生理的好感と、生きている人間の普通の、しかも突き詰めた真実が、そこにあった。100ページに満たない小説で、2時間もかからず読み切れるはず。読みそびれていた方はぜひご一読を勧める。
釈迦のハンドルネームでエロ小説を書いて小遣い稼ぎをしている「私」。実はハンチバック(せむし)と呼ばれる障害を背負ってグループホームで暮らす独り身の40歳近い女性である。両親は裕福でなくなる前に莫大な遺産を残し、グループホームを丸ごと立ち上げ、娘の一生を託した。ホームの中で暮らすだけの「私」が、同居する人たち、介護や看護をする人たちと日常的に触れ合いながら、健常者社会からは隔離された社会の中で、関り、毒づき、攻撃され、憧れ、諦める、そうした心の動きを具象的で的確な言葉で繰り広げていく。ちょっとした事件もある、いや大した事件なのだが、「私」の精神性がしっかりしているので、不安なく読めた。
芥川賞選者の吉田修一の「とにかく小説が強い。一文が強いし、思いが強い。」「作者自身の人間的成熟が、この強さを、さらには毒気のあるユーモアを生んでいる。」とか、山田詠美「このチャーミングな悪態をもっとずっと読んでいたかった。」という評価が、そのまま自分の評価である。見事な作品。多分多作ではないと思うのだが、これからも読み続けたい作家である。
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ところで、朝日新聞の2025年9月12日号に、市川さんが寄稿されていて、障碍者への視線と共生についてコメントされている。文中の「…クマ?」には爆笑してしまった。朝日新聞へ、そして社会に強く強く訴える市川さんの声、ぜひお読みください。
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