「みんなの民俗学」島村恭則(平凡社新書)

民俗学というと、どうしても柳田邦男、折口信夫、宮本常一といった著名な研究者たちのイメージで日本各地の「田舎」の伝承とかローカルな行事などの歴史的経緯を説いたり、伝承の隠された意味を解き、日本人のルーツ的なものを探る、という学問みたいに思ってしまう。少し構えて考えるというか、そもそも古臭いという印象を与えるのだが…
だが、島村先生は、現代の民俗学はそのような狭い分野だけを研究するものではないいう。民俗学とは人間について「俗」の観点から研究するものであり、俗とは、啓蒙的とか教養的とか普遍的とか支配的とか中心的とかと、まさに正反対のものとしており、英語ではヴァナキュラーという言葉になるとか。
それでは、現代の「民俗学」がどのようなフィールドを研究対象にしているのだろうか。実は、ごく普通の我々の日常にもある「俗」部分も広くその対象となるのだという。
例えば、ゼミの学生たちに島村先生はこんな課題を与える。各人の家庭の中で特別な取り決めとか、お祈りとか、家独自のの慣習とかがあるかどうかを調べてくるようにと。すると、眠らない子を決まって母親が~くるぞと脅かすとか、新しい靴をはくときにおまじないといして靴裏に文字を書くとか、これもヴァナキュラーの一つ。さらに次々と研究対象となる分野が紹介される。キャンパスのヴァナキュラーでは、よくある学校の七不思議が取り上げられる。消防署、トラック運転手、鉄道員たちのヴァナキュラー、喫茶店のモーニングの成り立ちとか、B級グルメの誕生とか、読んでいるだけでも、なかなか楽しい話題。
モーニングサ-ビスは名古屋あたりが発祥かと思ったが、大阪、神戸、広島、松山とか意外とあちこちに先駆けを名乗るところもあって、その背後にはやはり働く女性たちの姿があって、朝食をなかなか作れない環境のもと、モーニングが同時発生的に広がったようだ。東南アジアの屋台文化も同じで、単なる朝食の場所から重要なコミュニケーションの場の提供という役割も果たすようになっている。民話の伝承などと違って、こうした「俗」は本当に貧しい時代ならなかった習慣だろうが、ある程度の社会的成長があってはじめてこうしたニーズが同時発生的に広がったのではと思わせた。ただし次の章の、日本全国に広がったB級グルメ文化については、やや考察不足かな。マーケティングとか地域おこし的なものと、ヴァナキュラーとしてのB級グルメと区別が難しいところもある。それに対して「水の上で暮らす人々」の章はなかなか秀逸。そもそもそういう水上生活者が日本でも普通にいたことにびっくり。もちろん高度経済成長後に一気に陸にあがるのだけれど、船文化の一端として、港町などに独自の料理や料理屋さんが生まれたことも挙げている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いわゆる硬い学問的な研究というよりも、まずは現代に生き延びている、現代に生まれてきている「俗」な文化をリサーチしてトータルで日本という国の特に下層に広がっている価値観とか指向とか考え方とかと結びつけながら、日本人の一面を探るという立ち位置をとっている。著者と一緒になって、ああそんなのあるよなあとか読み進んていけば、民俗学の面白さがよくわかってくるかもしれない。もちろん、他のアプローチもたくさんあるだろうけど。




 

コメント