石垣さんの詩は、力強く、公正で、美しい。たおやかでたくましくもある古き良き日本の女性の声となっていて、とても好き。でもこの本は、生涯独身でOLのはしりのような暮らしをしてきたその日々を、エッセイの形で綴っている。石垣さんがとらえる「よきもの」「不正なもの」を日常の目で描いている、そんな本である。
たとえば銭湯の話。いったい昭和の何年頃なんだろうか。石垣さんが東京で勤めていて、ある夜銭湯で体を洗っていたら、自分より若い女性が剃刀をもって近づいてきて、遠慮がちに襟足を剃ってほしいという。「明日、わたしはオヨメに行くんです」その一言で、慣れないけれど他人の襟足をそってあげることにした。
「明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の向こうで、むこう向きにうなじをたれている、と思った。」
とつとつとした話を聞きながら、その喜びと少しの羞恥を共に感じられて、石垣さんは自分のほうこそお礼を言いたい気持ちになったという。
自分の詩、他の方の詩を引用しながら、石垣の詩の作法、そして一人の弱き女性労働者として生きてきたその生き方を、美しい文章の中に表している。
初版からもう50年もなるのに、いまだ読み継がれる石垣の歌と言葉。確かな詩人だと思う。
多分、国語の教科書で、昔出会ったかと思うこんな詩の作者である。
「崖」 石垣 りん
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
(詩集『表札など』・1968年刊)
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