「となりの陰謀論」烏谷昌幸(講談社現代新書)

 さて、陰謀論である。世の中にとんでも話はたくさんあるが、さすがに本場アメリカだと、そのスケールは大きく、大統領がそれを主導したりしていて、どうなってるの?というくらい。陰謀論のおさらいとして、歴史的にも俯瞰していて、読みやすい。

本書でとりあげる事例もほぼアメリカの現代政治の話で、今の日本における陰謀論については、「財務省解体デモ」について簡単に触れるくらい。トランプとアメリカについて関心のある方は、面白く読めると思う。

なぜ陰謀論が生まれ人がこれにとらわれるのか。筆者は前書きの中で簡潔に書く。

「陰謀論を生み出し増殖させるのは、人間の中にある『この世界をシンプルに把握したい』という欲望と、何か大事なものが『奪われる』という感覚です」


アメリカはもともと陰謀論が結構根強くあった国で、一番有名なのはケネディ暗殺事件。犯人のオズワルドが事件の二日後にこれまた別の男に銃撃され、真相が闇に葬られることになり、一気に「黒幕」説が広がった。しかし最近のケネディ事件の非公開資料が世にでたが、黒幕説を裏付ける証拠はみつかっていない。それでも人々は絶対に何かがあるはずと、疑いは消えていない。

アポロ計画については、月面に人類は降りてはいないとか、9.11事件は実はアメリカ政府が引き起こした事件であるとか、UFOとの接触を政府が隠しているとか、そのようなある意味他愛ない話が語り継がれてきた。

最近では、二酸化炭素は温暖化と関係はないという言説とか、新型コロナ以降強まった反ワクチン運動などもこうした陰謀論の一つである。

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そしてトランプの登場である。トランプが選挙戦略で利用した陰謀論はとても多いが、中でも有名なのは「選挙は盗まれた」という執拗なアピールと国会議事堂襲撃事件であろう。盗まれた選挙問題について、共和党はその後62件の訴訟を起こしているが、61件は棄却されている。残る1件も不正があった証明はされていない。それでもMAGAの人たちはトランプの言葉を信じ、国会に突入し、何人もの死者を出している。暴動参加者は逮捕されたが、トランプが再選された後、彼らのほとんどが恩赦を受けて出獄している。この事件について筆者は次のように書いている。

「このような非日常的な集団的熱狂に参加することで、コミュニティのメンバーは自分たちが大切にする神話への信仰を深め、指導者に対する忠誠心を強め、集団の凝集力や団結力は大いに強化されることになるのです。1.6襲撃事件は、このような意味において、トランプが進めてきたMAGAのムーブメントにとっての空前の「集合的沸騰」の経験だったのです。」

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集合行動。多くの人が同一の刺激に向けて同じように反応する現象であり、例えばサッカーファンの暴動、ラーメン店の行列、ネットの炎上など、なんでここまでと思えるほど、あっというまに燃え広がる大衆行動で、今の日本でもたまに見られる現象である。筆者は財務省解体デモもこれに近いとみているようだ。ある種のオフ会のような。

こうした集合行動が政治化していくと、例えばイギリスのEU離脱(ブレグジット)やトランプ現象などに見られるように、国民的な意思決定プロセスに、ニセ情報が拡散し、人々の投票行動に大きな影響を与える結果となったとしている。

アメリカでは民主党と共和党の違いがより鮮明になってきているる。1990年代は保守かリベラルかは、政党によっての違いはあまりなかったし、共和党員が民主党よりリベラル志向が強いという例もあれば、逆の例も見られた。あった。しかし2010年代には、民主党はよりリベラルに、共和党はより保守にと、お互いが相いれないところまで断絶が広がっているという。それは、政策的な違いというよりも、もっと非政治的な要素が入り込んできており、人工妊娠中絶の是非、公立学校でのお祈りなど、お互いが絶対に譲れない思想的な断絶にまで拡大している。社会全体に保守とリベラルのすみわけが進み、マスメディアもそれぞれの色がついてきている。分断は普通の人間の生活の中でも深刻化し、家族・友人・恋人との関係が壊れ始めている例も多いという。

筆者は、歴史を振り返りながら、政治と陰謀論の始まりとして、フリーメイソン陰謀論、そしてそれを受けた形でのナチスのユダヤ人排斥運動などを紹介している。平和と平等をうたった当時のワイマール共和国が、第一次世界大戦の敗戦ですべてを失ったドイツ人の「剝奪感」「虚無感」に漬け込む形で、政党ナチスは自分たちの不幸は「やつら」のせいだと叩き込み、人心を掌握しながら、国中を巻き込み間隔を麻痺させていくという手法をとり、ヒトラーが怪物化していった過程を簡単に説明している。ポピュリズムは、民衆の側に立っている風を装ってやってくる。誰かを叩くこと、しかも執拗に恐怖で他人を叩きつけることで、自分たちの一時的な優越感を高め、共犯的仲間意識を強めていく、これが陰謀論に後押しされたポピュリズムの行く末だった。

この本では日本の現状についてあまり触れてはいない。日本にはアメリカほどの分断や格差社会へ恨みが少ないのは、ヴァーチャル世界が充実しているからではないかと筆者は述べる。ペットの家族化、押し活、パチンコやゲームでの充足感、ホストやキャバクラへの疑似恋愛、「少しずつゆっくり衰退していく」状態にあるからという見解だた、これも少しずつ変わってきているのではないか。キリスト教の福音派がトランプの背景にいて、宗教色をつよめていることも分断の一因なのだが、日本ではそれほど強烈な宗教的影響はいまのところみられないことも理由の一つだろうか。

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なかなか解決策のない問題だが、筆者はフィリピンでドゥテルテ元大統領と戦うマリア・アレッサの戦いを紹介している。「ファクトファースト・ピラミッド」と呼ばれる方法で、ファクトチェックを行い、それを広め、同時に研究者やメディアとともに戦うという地味な方法である。陰謀論はあまりにも広がりやすく、人が飛びつきやすいもので、政治に利用されればとてつもないデメリットもたらす可能性があるのもので、決して過小評価してはならないものだ。

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最後に一番印象に残った話を。アメリカの副大統領として突如政界に登場したヴァンスの話である。本書では、極貧の家庭に育ったヴァンスの自伝「ヒルベリーエレジー」を紹介している。かなり売れた本だとか。ヴァンスが政界で成り上がっていく過程で、ラストベルト出身者のルサンチマン(復讐心)がどのように働いていたかを見る一つの資料ともなっているようだ。そこでヴァンスはオバマのことに触れている。

アイビーリーグの二つの大学を優秀な成績で卒業したオバマの学歴は、完璧すぎて恐怖すら感じると。そして、オバマの存在そのものがヒルビリーたちの心の底にある不安を強く刺激したという。オバマは良い父親だが、自分たちはそうではない、オバマの妻は子どもたちが何を食べるべきでないかをわかっていてその通りにしているのに、自分たちはそうではない。彼らの脅迫観念がこのように締め上げられることで、オバマへの嫌悪が生まれてくるのだと。製造業の衰退で、労組から守られることがなくなった白人労働者は、民主党に捨てられたと感じるようになる。マスメディアへの不信感が高まる。エリート層を生み出す大学教育へも憎しみの目を向ける。社会のシステム全体に対して、自分とは縁のない無価値の物としてみる虚無的な思想を持つようになる。ニヒリズムには容易に陰謀論が入り込む。自らの不幸の原因を簡単に求めてしまう。憎しみの矛先を成功者たちに向ける、そのようにして反リベラルの心情が形成されていく。

なかなか読み応えのあるストーリーで、このような典型的なキャラ立ちの強い人物は今の日本の政界にはいない。かつての田中角栄のような?


陰謀論とかポピュリズムとか、あほらしいなどと思っているうちに、いつのまにか巨大な流れを作っていくのは、兵庫や宮城の知事選を見てもわかるとおり。個人がどのように対抗するかは、なかなか難しい問題。オレオレ詐欺のように、手をかえ品を変え、人々は騙され続けるのだから。社会の中に「分断」を作らない、「貧富の差」を作りすぎない、それが一番の下地になるのでは、と思った次第。

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