3人の女性の作家たち、川上と井戸川はいずれも芥川賞をとった(やや)若手の小説家、東は歌人である。今回取り上げるのはその三人の詩集で、川上と井戸川はそれぞれの詩集で「中原中也賞」と受賞している。この賞は小説の芥川賞的な位置の賞で、まあ新人賞的な。ただし、やや古いが。
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井戸川射子の「する、されるユートピア」は2019年の中也賞詩集。この人はデビューが新しくとても寡作の作家だが、書いたものは次々賞を受賞している印象。2021年に『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞、2022年の『この世の喜びよ』で芥川賞を受賞。他に小説は二冊のみ、詩集は他に一冊のみ。寡作で手練れ。
散文詩と定型詩が合わさった形のもので、現代詩を読みなれていない人は、かなり苦手に思えるかもしれない。現代詩の中でも字面上、「わかりやすいもの」と「わかりにくいもの」、「ストーリーを追えるもの」と「話が飛び飛びになっていて、筋がわからないもの」と分けるとしたら(かなり乱暴ですが)、井戸川の詩はどちらも後者のわかりにくいタイプの詩ということになる。
ただし、井戸川の小説を読んだことがある人は、それがわりと気に入った人なら、おそらくこの詩集をすんなりと読んでいけるのでは。特に小説「ここはとても速い川」の世界がシンクロしていて、井戸川の精神的なバックグラウンドになっている、「家」とか「貧しさ」とか「孤独」とか「自立」とか、様々なものが響きあっている。
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川上未映子は詩人として出発したが、2008年に『乳と卵』で芥川賞をとると、すぐに第一級の小説家となっていった。『ヘヴン』(2009年)『夏物語』(2019年)『黄色い家』(2023年)などが代表作か。大阪弁の軽快さと重さがいくつかの小説を覆っていて、女性の「性」と人間の「生」と「貧困」とときに「暴力」とをテーマに小説を書く女性という印象。好きな作家のひとりである。2024年に「ヘブン」がイギリスのブッカー賞候補になって日本を代表する作家になってしまった。
この詩集、『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』は、2009年 の第14回中原中也賞受賞作品であるが、まあ、これをすんなり読める人はまずいないのでは、というくらいの「先鋭的な」現代詩である。川上の初期の主要テーマである「女という性」について、どこまでもぐるぐると思考がめぐっていく感じ。それ以上はなかなか書けない。
7編の散文詩の中でも「ちょっきん、なー」「告白室の保存」はなんぼか追っていける話だろうな。川上が雑誌「ユリイカ」上で、連載(投稿?)していったこれらの詩群を、リアルタイムで読んでいたら、多分はこのぶっとんだ散文詩に、唖然仰天していたことでしょう。詩集としてまとまっていると、一つの世界としてそこにあるのだが、ね。
ちなみに、川上はウィキによると
「高校卒業後は弟を大学に入れるため昼間は本屋でアルバイト、夜は北新地の高級クラブでホステスとして働いた」という経歴の人で、その後歌手、そして女優となり、
2010年にキネマ旬報ベスト・テン 新人女優賞(『パンドラの匣』)おなじく2010年 に第5回おおさかシネマフェスティバル 新人女優賞をとっている。結婚は二回しており、現在の夫は小説家の阿部和重さん。
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最後は東直子の「朝、空が見えます」について。
この作品は詩集とはちょっと違うかな。東のあとがきによれば、2017年1月1日から一年間にわたり、毎日空の様子を一行で書き綴ってきたもの。ツイッター上に毎日あげたそれらを再編集した作品群だとか。「朝目が覚めたらカーテンを開いて空を見上げるのが習慣になりました。晴れている日もあれば、雲に覆われている日もあり、雨が降っている日もありました」
3月のある日なら:
粉のような雨が降っています
たましいが融合している白い空です
ほんのり甘く晴れわたっています
などなど。ツイッター(いまはX)で流れてくるこうした言葉なら、もう特に気を引くこともなく流れすぎていくのだろうけど、書いている本人にとって、やはり一年毎朝空を見上げてひとこと書くという作業が何か意味があるのだろうし、まして東は歌人なので、当然歌への影響もあるのだろうと思う。歌は見えるものをどこまで言葉にできるか、そこに見えないものをどこまで追い求められるかというギリギリの作業でもあるので。ただ、面白いかといえば、東の愛読者でない限りは、それほどでもない、と思った。
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