「夜に星を放つ」窪美澄(文春文庫) 2025/9/21

2022年前期直木賞作品。 5つの中編を集めた小説集、ひとつずつは50ページほどで、一気読みしてしまう面白さ。
微妙な既読感があって、いろいろ考えているうちに、ああこの世界はちょっと山本文緒の「プラナリア」に似てるかも、と。
家族の話であり、夫婦の話であり、恋の話、別れの話である。時はコロナの時代。
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一作目の「真夜中のアボカド」は、30代初めの独身女性、一年前に双子の妹を亡くしており、その夫と喪失感を共有する。婚活アプリで知り合った男性との出会いと別れもある。
二作目の「銀紙色のアンタレス」は、高校一年の男子が海辺の町に祖母を訪ねてひと夏を過ごす話。幼馴染の女の子とのふれあいと、幼子を連れた若い人妻へのほのかな思慕も。
三作目は「真珠星スピカ」。中学一年の女の子の話。母を亡くし、父と二人暮らしで転校したばかりの中学でいじめをうけ、保健室登校を繰り返す。亡くなった母が霊になっていつもそばに現れて、励ましてくれるのだが、父にはその姿が見えない。やがて大きないじめ事件が起こる。危ういところで、彼女を救ってくれたのは…

四作目は「湿りの海」。主人公は38歳バツイチの男性。隣の部屋に越してきたシングルマザーの母と娘に次第に惹かれていく。アメリカに行ってしまった自分の元妻と娘に、その姿を重ねていくのだが。
五作目は「夏の随に」では、父母が離婚し、父に引き取られた息子が父の再婚相手の新しい母と生まれたばかりの弟と暮らす話。実の母には月に一度しか会えないし、継母は育児と仕事の疲れで少年につらくあたることもある。やがてやってくる破綻は。
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どの話も、哀しいトーンなのだが、救いのない話ではなく、ほのかな明るさが未来にある感じがいい。登場人物がどの人も悪意はなくきつくても誠実な人柄として描かれて、安心して読んでいけるというか。ただ、それで直木賞はとれるわけではない、もちろん。この五作が一つの小説集となり、「夜に星を放つ」という作品として完結しているとき、コロナの孤絶感と先行きの不安感に満ちた時代にでも人はこのように、夜空を見上げたりしながら、それぞれの日常を生きていたのだという、小さな傍証のようなものとしても読めるのがいいのでは。

どの作品が一番いいか、となると結構難しい。どれもかなり面白いのだが、どれかが飛びぬけてというのではなく、窪さんが書いていた時代におそらくは「この時代を描いてみよう」という気持ちで、連作的に書かれたもので、やはりうっすらと統一的なモチーフがあって、それが「どれかを押す」という気持ちにならない、そんな印象である。しいてあげれば「真珠星スピカ」か。多分一番の問題作ではあるが…

以下は2022年の直木賞受賞時の選評

窪美澄女56歳×各選考委員 作家の群像へ
『夜に星を放つ』
短篇集5篇 329
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
浅田次郎
男70歳
18「どの短篇も一人称一視点でありながら、それぞれの苦悩が書き分けられ、いわば宇宙に生きる人々の不幸の諸相を、的確にドラマチックに、たとえばめくるめく星座のように描き上げた。過剰な小説ばかりの昨今、豊かな文学性を感じた作品は久しぶりである。」
北方謙三
男74歳
25「緊密な世界を構築しているが、どこか夢の物語のようでもある。触れてくる事象をさりげなく書いているように思えるが、絶妙な選択はなされていると感じた。」「高校生が夏休みに祖母の家へ行く。(引用者中略)思春期のむさくるしい性の匂いは、注意深く排除されている。それによって、澄んだ感傷を描出することに成功した。」「こういうものが、短篇の醍醐味だと思った。」
宮部みゆき
女61歳
28「新型コロナウイルスの世界的なパンデミックを、物語のなかでどのように描くか。様々なアプローチがあると思いますが、窪美澄さんの『夜に星を放つ』は、そのなかで最も自然体の優しいスタイルを選んで書かれた小説だと思います。ここで肝心なのは、「優しい」と「ぬるい」は決定的に違うということ。困難なことも辛いことも嫌なことも細かくちくちくと待ち受けている現実から目をそらさず、でも一人一人が個々の状況下で望める限りの幸せを得てほしい――。そんな作者の願いが伝わってくる読み心地でした。」
三浦しをん
女45歳
42「受賞に異論はない。」「なぜ一番には推さなかったかといえば、各編ごとになにが書かれているかが明確で(丁寧さゆえだが)、「これはいったいなんの話だったんだろう」と読者が想像する余地が少ない=短編としてはややキレに欠けるかなと思ったためだ。また、「真珠星スピカ」の幽霊を、どこまで「(作中において)リアルなもの」と受け取っていいのか、少々判断に迷った。」
高村薫
女69歳
12「作者はすでに十分な手練れであり、これまでの作品と比べて本作で特段何かが進化したというのではないが、描かれる日常はどれも粒がそろっており、そのぬるい毒と醒めた停滞は、現代を生きる大人の鑑賞に耐える。」
林真理子
女68歳
37「強く推そうと選考会に臨んだ。」「どの短篇もひとつひとつが、非常にゆきとどいていて後味がよい。」「若い女性、少年、少女、離婚した男性と主人公らはすべて違うが、誰もが他者との関係に悩むのは共通している。が、それによって悲劇が起こるわけではなく、最後にかすかな希望が生まれるのだ。これがこの作品を非凡なものにしている。」
角田光代
女55歳
25「多くを書かず、登場人物たちの断片を切り取って提示し、より深くを読ませる。その手つきは繊細で、かなしみを背負うものへのエンパシーに満ちている。」「『真珠星スピカ』のこっくりさんのくだりは、私には安易に思えたのだけれど、この短編こそすばしいという声も多かった。」
伊集院静
男72歳
47「作品中に、感染症、新型コロナが扱われている。この二年余り、世界の人々に多大な影響を与えているコロナ禍を明確に扱っている点は評価されるべきことだ。」「私が最後に支持票を入れたのは、この作家の根にある辺りに強靭な小説家の覚悟が見えるように思えたからだ。」「今日のテーマに果敢に取組んだ点で、頭ひとつ抜けていた印象だった。」
桐野夏生
女70歳
14「好感を持って読んだ。特に「星の随に」は、私好みだ。どれも上手く、文句のつけようがない。」「ただ、ギラリとしたものを求める人には、少しシンプルに過ぎるかもしれない。」
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