「太き骨は先生ならむ そのそばに小さきあたまの骨あつまれり」 広島原爆の日 8月6日 


8時15分に黙祷。

首相の石破茂の広島平和記念式典での挨拶、以下のように結んでいた。

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 「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。

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これまでの首相たちの、誰の作文だかわからないような、心のこもらない挨拶に比し、石破は普通に知性のある首相で、まっとうな文章を書ける人だ。政治家としては知らず、人としての情を感ずる。

ウクライナにしても、ガザにしても、不条理な狂気に満ちた指導者が他国を侵略することは、かつての日本がそうしたように、今でも起こりうる。そうした不条理から自国を守るにはどうしたらいいのか、日本国憲法にある「自衛の権利」について、もっと議論があってもいいと思う。そこで核兵器をどうするのか、理念だけでなく、ある種のマヌーバー的対応も含めていろいろ議論があって初めて、平和と核と戦争との「もやもや」感が少しはうすれるのではないだろうか。でも、なんだか今の日本だとちょっと危険な気もする。

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