ちょっと古いタイプの小説だと思うけど、これはこれでとても面白かった。2012年9月初版。松家さんは元編集者で、この作品が学生の頃に文藝賞の佳作をとって以来、数十年ぶりに書いた小説とか。読売文学賞を受賞された。2025年1月に文庫化された。
大学をでたばかりで、なんとか有名な建築家の事務所に仕事を得た若者が、その建築家を先生と慕う仲間たちとともに、国立の現代図書館建設のコンペにだすために、建築プランを作り上げていく。
東京青山にある設計事務所は、夏の間は浅間山の麓の山荘へと移転し、そこで合宿のような形で仕事をしている。全部で8人ほどが一緒に暮らし仕事ができる大きな山荘で、浅間山が見渡せる軽井沢の奥の静かな高原にたっている。先生の姪や同僚の若い女性などとの恋物語も少しあるし、建築家として着実に成長していくストーリーは、とても一本道で、迷いなく主人公の屈託も少ない。本作は、実際の建築家吉村順三氏をモデルとしているが、もちろん完全なフィクションだとあとがきで断っている。
何より特徴的なのは、著名な建築家や建築物への造詣が深く、世界各地の建築物への言及がされている点で、なかなかこれが圧倒的。読みながら、引用された例えばフランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館とか、東京帝国ホテルとか、ニーロップのコペンハーゲン市庁舎とか、スウェーデンのグンナー・アスプルンドの作ったストックホルムの「森の墓地」とか、おそらくは手を止めてネット検索をしながら読むという楽しみ方をされた方もいらっしゃると思う。家具とくに椅子への言及も多く、本物志向の人なら一つくらいなら買ってみたいなと思わせるものもいくつか。ちなみにネットで調べたら一脚5万くらいの北欧の椅子、買える人は買える微妙な金額。
もう一つ、料理のこと。山荘での共同生活では料理達者な男性を中心に交代で料理を作るシステムのようで、これがどれもオシャレな感じ。バゲットにオリーブオイルとバルサミコを浸してなんてあると、こんどやってみようかと思ったりもするが、でもどうなんだろう、村上春樹でもあるいは古く伊丹十三でも、こんな風にこれがまっとうな(西洋)料理だよって言ってるあの雰囲気をちょっと思い出してしまう。料理のこだわりみたいなものは、それを書きたい気持ちはわかるし、その小ネタを読んで楽しむという気持ちもわかる。でもまあ新ネタじゃないよなね。
かかっている音楽は主にクラシック、最初のほうでは小説の舞台でもある70年代から80年代のブラックコンテンポラリーへの言及も。ブラームスでもシューマンでもバッハでも、音楽の趣味は、どうしたって小説の雰囲気を決める小さなファクターで、村上春樹がずいぶん昔からやってきた。
最後にもう一つ、車の趣味。山荘に何台も駐車されている社員たちの車は全部外車で、若い女性がマニュアル車でワインディングロードを飛ばす場面があったりする。鳥や植物への関心もそう。どれも本格志向で、ああ、そうだ、この人たちはみんな「ハイソ」な人たちなんだと、改めて思ったりする。それぞれが何かで一流で。まあ、そういう趣味で統一されている。しかも、悪人が誰一人いないという…
小説全体を通して、北軽井沢と浅間山麓の風景が美しく描かれ、派手でどぎついものは排除され、静かな世界が広がっている、という感じでしょうか。悪くないが、最初に述べた通り、ちょっと古いタイプの小説に思えたのであった。一気読みできます。
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