『昭和の犬』姫野カオルコ(幻冬舎)

 一人の女性の幼児期から50代になるまでの話を、昭和の時代のできごととともに描いていく。そのそばにはいつも犬がいた。あるときは飼い犬の、あるときは友人の家の、あるときは下宿さきの、すれ違う人々と散歩する犬と。

自伝的な色合いも濃いのだけど、こどもの目で耳で見聞きする大人の世界の「わからなさ」が、少しずつ形をとっていくのは、時間が過ぎ、大人になり、家を離れて、そして振り返ってみるから。一人っ子なのだが、必ずしも愛されず、理解されず、それでいて強い影響力をもっていた両親への、これは逆説的なオマージュなのかとも思った。

時代ごとのいくつもの小編によって、主人公の成長を追うのだが、そのタイトルが「ララミー牧場」「逃亡者」「宇宙家族ロビンソン」「インベーダー」と続いている。昭和のテレビ番組名で、ああなるほどねと思う。タイトルはほとんど筋とは関係しないのだが、微妙にマッチしていて、そのあたりのくっつき具合がまことにうまい。そして、何より、犬との関係。時代時代に一緒にそばにいた犬との付き合いが、べたべたせず、しゃんとしていて、心地よい。タイトル名とも少しずつ関係しているところもいい。

きわどいことも書きながら、下品にならず、ユーモアもあるし、あっさりしながら、知らずに人の奥底の深いところに届くような文体で、まことに感じが良い。姫野さんはこれからも読んでいく作家になるだろう。



受賞者・作品
姫野カオルコ女55歳×各選考委員 作家の群像へ
『昭和の犬』
長篇 461
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
浅田次郎
男62歳
12「姫野カオルコ氏は(引用者中略)まこと頑迷に孤高に天賦の才を磨き続けた結果、ついに「昭和の犬」という傑作を書き上げた。読後おそらくすべての人が感ずるにちがいない、青空を見上げるような清潔感は、作者の品性そのものであろうと思う。かくも独自の手法を貫いて、なおかつこうした普遍の感動を喚起せしめることは奇跡と言ってもよい。」
阿刀田高
男79歳
15「読み進むにつれ確かな手応えがあり、まぎれもない大人の、成熟した小説へと変わっていく。」「私にとってはまさにリアルタイムで生きた記憶であり、それゆえに、――あまり思い入れを深くして読んでは客観性を失うぞ――自戒しながらページを送った。すでに何度もこの賞の候補になった作家の筆力を、手だれの技を感じ取った。」
伊集院静
男63歳
17「私は最初、この作品を読んだ時、きわめて私小説的に展開していく作法が果して一般の読者に迎えられるだろうかと懸念したが、さにあらず、作者は見事に普遍を捉えていた。これほどセンスの良い現代小説の書き手がいたことに驚いた。何よりも小説に品性があった。」
北方謙三
男66歳
7「作者の力量を、ようやく賞が迎え入れることができた、という作品になった。」「犬を通して昭和の家族や地域社会を描きあげるもので、セピア色の下に豊かな彩りが満ちていると思った。戦争の影を引き摺る昭和という時代も、ある光があり、悪くなかったのだと、しみじみ思える出来になっていたと思う。」
桐野夏生
女62歳
11「昭和という時代の「翳り」がうまく描かれている。」「イクの周囲に対する距離感と、それを語る作者の立ち位置が絶妙で、一編の映画を見ているような気がした。本作は、『恋歌』と並び、最初から頭ひとつ抜きん出ていた。」
高村薫
女60歳
9「この作者らしい世界との距離の取り方が、「パースペクティブに語る」という一つの技法に結実し、一つの小説世界に結実した。」「不幸も悲しみも滑稽も不条理もそこでは中和され、穏やかな光が差す。評者は本作を受賞作に推した。」
林真理子
女59歳
19「記者会見にジャージ姿で応じている姫野カオルコさんを見ていて目頭が熱くなった。」「若い売れっ子の女性作家としてマスコミをにぎわせていた頃の、また別の姿を知っていたからだ。「昭和の犬」に出てくるイクと姫野さんとの姿が重なる。」「この小説は犬を媒体とした戦後史であり、人間賛歌でもある。過去の幸福は、現在の不幸を凌駕していくという力強い宣言でもあるのだ。」
東野圭吾
男55歳
12「この作品の魅力を言葉で表現するのは、とても難しい。特に何かを訴えているわけではない。生きていくということ、あるいは生きてきたということを、力を抜き、感傷的にならずに、淡々と描いている。それだけで読者に快感を与えてしまうのだから大したものだ。」
宮城谷昌光
男68歳
12「作中人物の立ち位置がよい。そういう人の立たせかたをすると、物も動物も生きてくる。」「しかしながら、この小説には落としどころが決められており、そこへのながれがあきらかになるにつれて、人と動物と物がもっていた圭角が失われていったような気がする。俗ないいかたをすれば、もっととげとげしくてよかったのではないか。」「(引用者注:「恋歌」と共に)作品には、力がある。それは認めざるをえない。」
宮部みゆき
女53歳
5「(引用者注:「恋歌」と共に)文句なしの満票でしたし、ここの紙幅には限りがありますから、私は今回、受賞作への評は控えさせていただきます。」
他の候補作
 

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