追悼 谷川俊太郎 追記+朝のリレー、ことばあそび歌

以下はヤマレコ日記にあげたものに、少し追記しました。
11月17日の新聞で谷川さんの詩を読んだばかり。月一回の連載でさすがに90代の詩人だから、静かな日々を綴る詩が多かったのだが、今回はこんな書き出し:

  目が覚める
  庭の紅葉が見える
  昨日を思い出す
  まだ生きてるんだ
     (『感謝』の冒頭)
今思うと、少しだけ「予感」があったのかも。
追悼として、数ある名詩の中から、誰もが聞き覚えのあるデビュー作の詩集の中の一篇「かなしみ」をここに記す。

   かなしみ
  あの青い空の波の音が聞えるあたりに
  何かとんでもないおとし物を
  僕はしてきてしまったらしい

  透明な過去の駅で
  遺失物係の前に立ったら
  僕は余計に悲しくなってしまった

谷川はこんな言葉とともに、日本の詩壇に突如現れたのだった…

今日は自分が処分できずにいまだに持っていた三冊の詩集を、本棚からとりだして、谷川のことを思い出していた。そういえば自分の子どもたちも谷川の「ことば遊び」を親に読んでもらうのが好きで、一緒に早口言葉や悪口言葉を競いあったっけ、とか。
しみじみとしてしまう。


以下追記

 訃報の翌日、11/20朝日紙上で詩人の佐々木幹朗が追悼している。佐々木の文章は、私と同じ亡くなった直前の詩を引用し、同じく二十億光年の孤独の中から「かなしみ」を引用している。もうひとつ、「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」から「芝生」を載せているので、ここで全文を紹介しよう。
    『芝生』
   そして私はいつか
   どこかから来て
   不意にこの芝生の上に立っていた
   なすべきことはすべて
   私の細胞が記憶していた
   だから私は人間の形をし
   幸せについて語りさえしたのだ

ことば遊びのうたを少し。
    『ことこ』
   このこのこのこ
   どこのここのこ
   このこのこののこ
   たけのこきれぬ 

   そのこのそのそ
   そこのけそのこ
   そのこのそのおの
   きのこもきれぬ

    『かっぱ』
   かっぱかっぱらった
   かっぱらっぱかっぱらった
   とってちった  

   かっぱなっぱかった
   かっぱなっぱいっぱいかった
   かってきってくった

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教科書に載っている有名な詩も

     『朝のリレー』
   カムチャツカの若者が
   きりんの夢を見ているとき
   メキシコの娘は
   朝もやの中でバスを待っている
   ニューヨークの少女が
   ほほえみながら寝がえりをうつとき
   ローマの少年は
   柱頭を染める朝陽にウインクする
   この地球では
   いつもどこかで朝がはじまっている 

   ぼくらは朝をリレーするのだ
   経度から経度へと
   そうしていわば交替で地球を守る 

   眠る前のひととき耳をすますと
   どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
   それはあなたの送った朝を
   誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

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