「この父ありて 娘たちの歳月」梯久美子(文藝春秋)

 戦争ミュージアム」がとてもよかったので、梯さんをもう一冊。これも素晴らしい本だった。

「この父ありて」は、9人の女性作家の父との関係をとりげたノンフィクション。
石牟礼道子、茨木のり子、島尾ミホ、田辺聖子、辺見じゅん、渡辺和子、斎藤史、萩原葉子。昭和から平成を生きた個性あふれる女性たちの家族の物語であり、父と娘の愛と憎しみの物語でもある。それぞれの「昭和史」が語られ、花開き、やがて消えていった。読者の生きた時代とも重なって、懐かしいものがここにある。

ただし、テーマとしては、凡庸ともいえる。有名作家の父と娘関係は、ある意味ありふれた話題だから。今回とりあげた作家たち以前の、鴎外でも漱石でも有名なお話はいくらでもある。そういう話の一つかと思って読み始めたら、あっという間に引き込まれた。エピソードがとにかくすごい。文学者個人の話を越えて、時代時代が見事に活写され、息づいている感じ。これは梯さんの力が大きい。エピソードをつなぎながら、父と娘たちを浮かび上がらせていく技量のことだ。
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なんといっても、圧巻は最初の二人、渡辺和子と斎藤史の章だろう。二人の父親はそれぞれ二・二六事件に登場する人物である。渡辺の父は渡辺錠太郎で、高橋是清などと同時に青年将校らに銃殺された。和子はそれを同じ部屋で目撃している。斎藤史の父親は斎藤りゅうで、渡辺とは逆の立場。陸軍少将まで出世したがその後退役し、叛乱軍の思想的な支えであり、叛乱軍をほう助したとして禁固刑に処された人物である。対立する立場の二人もまた陸軍の第七師団で、上官と部下の関係にあった。
それぞれの娘は、二・二六事件を転機に、大きく人生が変わる。日本が軍政に動き出していくその契機となった大きな事件は、また渡辺、斎藤両家の運命を大きく変容させる。
斎藤りゅうが死んだのは昭和28年。史は歌人となりやがて召し人として宮中歌会始に呼ばれる。平成6年のこと。この日のことを斎藤史は道浦母都子との対談で次のように言う。
「当日、御殿の正面の大階段を昇ってゆきました。先導がついてね。後ろの広っぱに軍服の軍人たちが並んでるなっていう気がした。」と語っている。史は「みんな一緒に行こうね」とつぶやいたという。
軍服の軍人たちこそ、天皇を信じ二・二六事件を起こしその後、その天皇によって処刑を命じられた、あの青年将校たちである。
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文藝春秋社のHPには、以下のようにやや詳しい内容が載っている。

渡辺和子…目の前で父を惨殺された娘はなぜ、「あの場にいられてよかった」と語ったのか?
齋藤 史…二・二六事件で父は投獄された。その死後、天皇と対面した娘が抱いた感慨とは。
島尾ミホ…慈愛に満ちた父を捨て、娘は幸薄い結婚を選んでしまい、それを悔い続け。
石垣りん…四人目の妻に甘えて暮らす、老いた父。嫌悪の中で、それでも娘は家族を養い続けた。
茨木のり子…時代に先駆けて「女の自立」を説いた父の教えを、娘は生涯貫いた。
田辺聖子…終戦後の混乱と窮乏のなかで病み衰えた父の弱さを、娘は受け入れられなかった。
辺見じゅん…父の望む人生を捨てた娘は、父の時代――戦争の物語を語り継ぐことを仕事とした。
萩原葉子…私は、父・朔太郎の犠牲者だった――。書かずには死ねないとの一念が、娘を作家にした。
石牟礼道子…貧しく苦しい生活の中でも自前の哲学を生きた父を、娘は生涯の範とした。 
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どなたにも一読をすすめたい良本であった。


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