内田樹「図書館には人がいないほうがいい」(アルテスパブリッシング)

敬愛する内田樹の新刊。読書論、図書館論を中心にこれまでの発言をまとめた本で、内田のブログやメディアでの発言を追っている人には、多分結構既視感のある文章がならんでいるかも。自分も「内田樹の研究室」はブックマークしているので、読んだ文章が半分くらいかな。それでも、まとめて内田の読書論・図書館論を読むのは意義があると感じた。だって、人は、結構次々忘れていくものだからね。
この本は、内田の研究者を自認する韓国人の
朴 東燮さんが、ハングルに翻訳して韓国で出版したものを、さらに日本語にして逆輸入したような変わった出自。韓国では内田人気は日本以上のものがあるとかで、この本もよく読まれている。

内田の図書館論は、次のようなもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 図書館は静かで、人がいなくて、何の役に立つのかもわからない本が書棚いっぱいにならんでいて、それがずっと続いている。静寂の中自分の靴音だけが聞こえるような空間で、初めて人は本に「出会う」。図書館は敬虔な場所である。心を引き締める場所、みずから自省する場所。己の足りなさを思い知る場所。知の喜びに出会う場所。だから、図書館は、決して効率を求めたり、費用対効果を求めたり、賑わいを求めたりしてはいけない。読まれる本だけを置く場所であってはならない。誰一人、100年も読まれない本があっても、その本はそこにあるべきなのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みたいな感じかな。
内田の本に対する思いがつまっていて、なんだか自分も少し切なくなるほど。図書館とは、読書とは、そういうことをまじめに考えられるような、偏執的な本マニアとまではいわないけど、本物の「本好き」「読書好き」の人なら、この気持ちわかってもらえるのでは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後のほうで雑談があって、笑えた話。
裏金で解散したある政党の派閥の主さん。3000万だかの裏金を書籍代と計上していたが、その本は自分の自叙伝だったとか。何万冊か印刷して関係者に渡していた話。読む価値もないような本だが、ゴーストライター、出版社、つきあいで(パーティ券代わりに)購入した地元のくされ縁の会社など、まあウィンウィンでよかったのかもしれないが、きわめて不快な話。内田は次のように書く。
「この本はいったい何だったのでしょう。商品でしょうか。商品ではなさっそうです。だって市場からのニーズないんですから。書店に並べても、多分ほとんどセールスにならなかったでしょう。では公共財でしょうか。公共財でもなさそうです。だって、これはある政治家が自分の選挙対策という「私用」のために発注したものですから、そもそも公共性がない。これは商品的価値も公共財としての価値もない本です。そういうものを書く人も作る人も売る人も買う人にも、僕は書物について一言も語ってほしくない。彼らがしているのは書物を辱める行為だからです。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内田の好んで使うタームとして「公共財=コモン」という言葉がある。図書館こそ我々が大切にし、お互いが利用しあうコモンであるべき、という主張が繰り返される。内田の影響を受けた(であろう)若い人たちが、日本の各地で独自の書店を運営し、そこを中心としたコモンの空間が生まれつつあることを内田は寿ぐ。
汽水空港
ルチャ・リブロ
隣町珈琲
こんなお店の名前を聞いたことがあるでしょうか。とても面白い活動をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内田さん、いまやや体調に心配な点があるようだ。はやくご快癒されますように。
一読者として、心から願います。

 

コメント