「未必のマクベス」早瀬耕(ハヤカワ文庫) 2024/2/24

2014年初出、2017年文庫化。600ページを超える長編だが、ストーリー展開がなかなか秀逸で一気読みしてしまう。ジャンルとしてはミステリーで、「ハードボイルド+冒険小説」風というところか。

 舞台は香港やバンコク、サイゴンなど東南アジア。IT企業の出世コースにあった主人公の中井が高校時代からの友人、伴とともにバンコクでの仕事を終えたあと、魔女の予言とも思える言葉を娼婦から聞くことになる。あなたは王になる旅に出ることになる、と。
 やがて香港の子会社に出向することになった中井は、そこで本社の中枢部による信じられないほどの不正を知ることになる。そして、自らの命を狙われていることにも気づく。そして、本社のITビジネスの根幹ともなる、情報セキュリティに使われる暗号化の技術に関する秘密をめぐる暗闘が、東南アジアを舞台に繰り広げられていることが明らかになってくる。そして巨額の富を生み出すその暗号キーを作ったのが、中井や伴の高校の同級生の鍋島という女性で、数学を専攻した暗号技術の専門家だった。

 高校一年で同じクラスにいた三人はどのような人生を送り、いまこの香港で再び巡り合ったのか。中井と鍋島の幼い恋はどのように結実していくのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 気になるところもいくつか。「殺人」が多すぎて、ストーリー上でもリアリティ不足。GAFAレベルの巨大企業だったらあるのかな、でも仕事が乱暴すぎてどうなのと思ってしまう。普通の企業はこうしたリスクをとるはずがないと思うし、個人が「復讐」と「自衛」のために何人も人を殺すこともありえない。
 と思っていたら、最後にずいぶん派手でドンパチな活劇になって爆弾まででてきて一大事件になった。これうまくごまかせたのかな。ちょっと古いけどランボーとか大藪晴彦とかを思い出させるし、作者の年齢考えたら、ニキータとかレオンとか、そういうイメージかもしれない。というのも、活劇的要素は主に女性が担っているので。まあ、大人のファンタジーで、大人のラノベというと言い過ぎだけどね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 もう一つ。音楽、ジャズバー、ヌーベルシノワ、深夜特急、キューバリブレ(カクテル)、香港の夜景などなど、小道具やガジェットがあちこちに散らばっていて、醸しだす雰囲気はお洒落で上流で、「ハイソ」的趣味の世界。バブルはとっくに終わったけど、仮想通貨はじめ様々なミニバブルはあったし、あらたにバブリーな人たちもたくさんいるんだろうな。主人公には今一つ共感できないところもあるが、登場する女性たちはなかなか魅力的で、しかもその魅力は男性視点な感じもするがどうだ。
 ハードボイルドを意識した文体はやや古臭いのだが、自分は嫌いではない。ただミステリーによくある、例えば「彼女のその言い方が心の奥でなぜかいつまでもひっかかっていた」と書いて、それが伏線的にあとで実はこうだったという展開、これはミステリーの定石的なものの一つで物語をひっぱっていくクルーなんだろうけど、それが何回もあるとちょっと「ずるい」感じがする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ところで、ヒロインの鍋島が作り出した暗号化技術だけど、ネット空間での情報セキュリティ技術の一つで、情報のやり取りをする際に、暗号化していくのが常識。だれでも使える「公開鍵」で暗号化し、それを元に戻す複合を行うのには自分だけが使える「秘密鍵」を用いるというもの。ストーリーの中で、この秘密鍵をめぐって幾つも事件が起こっている。素人の自分には、その価値は「いくら儲かる」「いくら損する」というレベルでしかわからない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて、タイトルのマクベスについて。シェイクスピアの悲劇「マクベス」の骨組みを借りて、ストーリー全体を構成している。戯曲「マクベス」では、その序盤に出会った魔女が将軍マクベスに、お前はやがて王になると予言をする。予言は的中し、やがて国王ダンカンを殺し、マクベス自らが王となる。だが悪夢にとりつかれ、夜中に夢遊病のように血塗られた手を洗い続けるという描写が強烈な印象を残す。魔女の予言通り、最後にはバーナムの森が動いてマクベスは破滅を迎えるというもの。このシェイクスピアの傑作悲劇が、どのように現代のストーリーの中にリヴァイヴしてくるのか、という興味もあったのだが、さすがに格調高い「王の悲劇」を演ずるには、この登場人物たちには荷が重かった。といってもマクベスを知らない読者でも、なんの問題もなく読み進められるようにはなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 おまけ。六面体の積み木カレンダーの話は、まあ本筋ではないけど、少しもやもやする数学の問題。小説では、この積み木の数字が6と9がさかさまにして使えるからどんな日付も表せるはずなのに、なぜ9に下線を付けてあったのか、それだとひっくり返せないので、カレンダーが完成しないのではという話がでてきている。
 主人公の答えは、この9のアンダーバーは、循環小数、0.999999…をあらわすことができるからというもの・。そして、0.99999…とは、実は:
             _9=0.9999999…=1
なんです。            
  
なぜ0.999999…が1かって? ネットで循環小数を検索すると、以下のようにいくつかの証明が載っている。
*1=0.9999…が正しいことの証明
①分数を使った証明
  1=1/3×3
次に 
  1/3 =1÷3=0.33333…
を代入します。
  1=0.333…× 3 = 0.999…
というわけです。
1=0.999…が証明できました。

②文字で置いて証明
  x=0.9999… とおく。
 両辺を10倍して 10x=9.9999…
これらを連立して
   10x=9.999…
   -) x=0.999… 
  
    9x=9
  ∴ x=0.999…=1
他にもたくさん証明はあるみたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
お勧め度は★3.5くらいか。


コメント