吉原真理「不機嫌な英語たち」晶文社

 新聞書評で紹介されたもの。姉から借りてさっそく読んでみる。結果は、一気読み。大河ドラマをつけていたが、そっちはほぼ耳に入らずだった。

作者の吉原真理さんは、1968年生まれ、東大卒でハワイ大学の教授。専門はアメリカ文化史、アジア文化史、ジェンダー研究など。言語関係、比較文化関係の著作があり、バーンスタインを扱ったノンフィクション「親愛なるレニー」で日本エッセイスト賞、河合隼雄物語賞を受賞している。

「不機嫌な英語たち」は2023年9月30日初版。半自伝的「私小説」と帯にあるが、あとがきや解説がないので、自伝なのか、フィクションなのか、若干「盛って」ある自伝といういうこと?と読み始め。すぐに引き込まれてしまう。小さな冒険物語で、新しい時代の「なんでも見てやろう」風、女性版アメリカ体験記、。

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親の海外転勤でアメリカに渡った少女が、小学校から中学校へと進む中、英語を身につけアメリカ文化を吸収し、親離れをしていく様子が、坦々とクールに描かれて、自己美化せずありのままの賢くて多感で生意気な少女の姿がちょっとほほえましい。時に傷つき、時にたくましく。

やがて、一度日本に戻り中高一貫から東大にすすんで再度アメリカに留学。そのころはボーイフレンドも次々とできて、大人の生活になっていく。アメリカでの出会いや別れが次々と描かれ、作者もハワイ大学に職を得て本当の恋もし、別れも経験し、今は教授となり独身でハワイに暮らしている。

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日本人とアメリカ人、自分のアイデンティティはいまはどっちにあるのか。アジア系の人を見る時、自分がアメリカ人だという視点で見てしまうこともあるし、WASPの人からはどうしようもなくアジア系という見方をされている視線を感じるという、まあ、ダブルバインドの状態が、うまく描かれている。

作者は、凡庸な日常のありふれた事件を通して、あるときは感情的に反応しある時は理知的にふるまうのだが、少しも飾らず身の丈の自分を晒している。英語ができるとかできないではなく、「アメリカにいる日本人」で繊細な人ならこういう体験をしこんなことを考えるのだろうなと思うこと多々。

作者は50代半ば。日本とは違って、すぐに結果を求められず意外に長いモラトリアム時間を許されるアメリカ社会で、かなり自由な時間を楽しんできた人だと思う。もちろん最終的に結果は求められのだが、そこは東大卒、能力が高いのでうまく帳尻を合わせられたのだろう。その意味でほんとの「エリート」の一人だ。自分がこれまで仕事で付き合いのあった人で長期の留学帰りの人が何人かいたが、そういう人たちのことを思い出す。男性は見事に日本人に戻るが、女性はやはり少し新しいタイプの日本人になっている気がした。男のほうが自我が「固い」ので、簡単にはなじまないというか。

印象的なエピソードがたくさん。筆者が通っていた中学に日本人の短期交換留学生のグループがきたときのこと。男子は坊主で、ジャージを着て、胸に名前入りのシール。囚人みたいな恰好のグループを自分が世話しなければならなくて、どうしようもなく不機嫌になっていく。まあ、わかる。日本人男性グループと飲みにでかけ、車のバッテリートラブルになる話。黒人の駐車場係に執拗に文句を言ってくれとマリさんに頼む日本人男性の話とか。情けなくて怒り出して涙さえでてしまうマリさんの気持ちがよくわかる。

ベトナム系移民のLouieとの恋の話。すでに週末を一緒に過ごすようになって長いのだが、どちらも結婚のことは考えてもいないと思っていたはずなのに、電車の中で不意にマリさんはLouieに聞く。  Do you think you would be happy if you married me? Louieは答える。          Yeah, Iwould be happy if I married you.

それを聞いてマリさんは自分でも信じられないことを言う。

     Will you?

ちょっと映画のように印象的なシーンで記憶に残る。この問いにルイは即答しなかったのだが。

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最後のほうに書かれた父親の死のこと、リアルすぎて読みたくなかったほど。娘と父と、このような関係ももちろんあるんだろうな。東日本大震災の時は東京で研究していたのだが、世界の関心が日本に集中しそれが覚めていく様子など、冷静に淡々と描いていて、彼女のような立場からみれば、これはありうる態度。ちょっと冷たいけど、これが現実の世界的な視点だと思う。

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ちなみに、「不機嫌な英語たち」というタイトルだが、英語学習の話ではない。英語はこの方は苦労せず身につけている。その意味で優秀な方だろう。すべてが最後はうまくいく。だが誰もがうらやむ成功というわけでもなく、そこはかとなく、ああそんなこともあったねと振り返るような人生とでもいうか。

アメリカ留学記、アメリカ体験記が好きな人は一気読みできるかな。でもなかなか優秀な人で、付き合う人たちもみんな知的エリート。大学の清掃員やハワイの工務店のバイトの男性などとのエピソードもあるが、やや扱いがどうかなとも思うし、書かなくてもいいエピソードなんじゃないかとも。そういうのが鼻につく人はよまなくてもいい。

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