村上春樹「めくらやなぎと眠る女」がアニメ映画化されるとか

村上春樹の初のアニメ化作品が作られたというニュース:

https://news.yahoo.co.jp/articles/c79378fb1a7bb4bdab4bb0d9901621bc1d485f3d

タイトルは「めくらやなぎと眠る女」とのこと。これは、最初の短編集「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の中に入っている作品名だが、アニメの方は、これ一編だけでなく、6つほどの短編を合わせて、オリジナルな作品にまとめたもののようだ。ネットででている画像は以下の三つ。





ピエール・フォルデス監督の言葉:
『めくらやなぎと眠る女』が日本で公開されると聞いて、とても幸せな気分です。この映画は、純粋なひらめきと野心の両方から生まれました――史上最も偉大で最もインスピレーションに溢れた作家の作品から得たひらめきと、アニメーションにおいてテクニックだけではなく語り方をも一新しようとした野心の産物なのです。様々な物語とキャラクターを絡み合わせつつ、この映画は、様々な物語とキャラクターを絡み合わせつつ、2011年の地震と津波という大きな出来事が、登場人物たちをいかに目覚めさせ、自分の人生を生きようと試みさせるのかを探っていきます。
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懐かしい短編集で初版は昭和59年である。40年も昔の作品集である。もうだいぶ忘れていたので、あらためて図書館で借りて読んでみた。いくつもの「原イメージ」がそこにあふれていて、中期後期の長編の主要なモチーフとして再度登場してくるものばかりだ。


「めくらやなぎと眠る女」は、結構不思議な作品で、耳の病気があるいとこの高校生の付き添いでバスに乗って病院に向かうところから始まる。診察中のいとこを待つ間、10年ほど前に記憶が戻っていく。
学生時代、友人と二人で、友人の彼女を病院に見舞うのだが、そのときに、彼女が語るのが「めくらやなぎと眠る女」の話。めくらやなぎも、眠る女も何かの暗喩という説明もなく、彼女の話が「不思議のまま」流れていく。
そういえば、いとこと一緒に乗ったバスが奇妙なほど満員で、他の乗客は全員老人で何か不穏な雰囲気。いとこが何度も時計を見せてと時間を気にしている。そもそもいとこの耳の病気は何なのかとか。投げかけられた疑問は少しも解決せず、いつのまにか終わってしまう。

「蛍」は「ノルウェーの森」の原型のような作品で、主人公は大学の寮にいて、ラジオ体操を毎日やる変わった男子と同室である。ときどきデートする女性は高校時代の友人の彼女。友人はもう自殺して亡くなっていて、二人でその悲しい経験を共有している。やがて彼女は主人公のもとを去る。一通の手紙を残して。同室の男子がくれた蛍の残像がいつまでも残る。

「納屋を焼く」も二人の男と一人の女の構図が同じ。女が去っていくのも。そして「納屋を焼く」という男の意図が全くわからないまま、納屋が焼かれたかどうかもわからず、物語は終わる。
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村上の短編は結構好きなのだが、どれを読んでもその後の中長編のモチーフに使われるテーマが短く表れてくる。テーマというよりもイメージと言うべきか。この短編集でものちに「1Q84」のリトルピープルの原型とか、騎士団長の原型のような踊る小人などがあり、他の作品でも羊とか、ねじまき鳥とか、最近では品川猿とか、いわゆる「村上春樹ワールド」を呼び込む様々なイメージ群が、そうした短編集にでてくるのである。

いずれも長編によくある長回しのセリフは避けられ、一つの作品に一つ二つでてくる透き通るような、ぞっとするような「イメージ」を作り上げることに作者の関心が集中している気がする。

(長編の悪口ということではないが、例えば自分としては結構好きな「1Q84」でさえ、最初に女性主人公の青豆の長尺のセリフは、二回読みたくなる感じはしないもの。)

村上春樹は、長年小説を書いてきて、いま何を考えているのかな。彼の作品世界は、それほど変化せず、ずっと同じところをめぐっているように思えてならない。その作品世界はある種の「ファンタジー」で、彼が常に描く「邪悪」はファンタジーのそれ、例えば村上が好きな川上未映子の「邪悪」とは全然違うもので、村上が川上をかっている理由が今一つわからない。(私はどっちも好きなのだが)

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