「宮本常一 伝書鳩のように」 

 平凡社STANDARD  BOOKS で「宮本常一 伝書鳩のように」を読む。


 宮本常一は昭和期に活躍した民俗学者。生涯、日本国中を旅し続け、庶民の中に入っていって等身大の日本人の姿を撮り、書き、独自の民俗学を打ち立てた人。「旅する人」であった。戦争、病気を除き、生涯で4000日を旅に暮らし、その距離16万キロ(地球4周分)とか。宮本曰く「まったくの乞食旅行」で多くは行く先々の民家に宿を借りた。
土地の人の視線にまでおりて、生き生きとした生活を膨大な文章と写真で記述。日本人の営みの、ほとんどはもう失われた日本人の現像をよみがえらせた最後の学者とも言うべき人。
 本書は、膨大な宮本の論文、エッセイから、短めのものを集めたアンソロジーで、どれを読んでも、坦々とした文章の奥に、生命力にあふれた庶民の暮らしが、ありありと蘇ってくる。どれも傑作だが、一番長い「土佐源氏」は、庶民の性を描いたものとして秀逸。このようなテーマでしかも、卑俗にならずどこか透明なほどに悲しく正しい人間の在り方を描いたものはなかなかないのではないか。個人的には、最後におかれた宮本の自伝的エッセイ「母の思い出」が、とくにこれということもないのだが、しみじみと心に響いた。

 宮本の母は貧しくて小学校にも行けず、子守奉公をしながら、学校の窓の外で読み書きを学んだのだという。だが宮本をかわいがってくれた。母と二人で桑畑に行く途中、雷にあい、木の下でむしろをかぶって大きな背負籠の中にふたりで潜り込んで雨宿りをする。ようやく雷雨がすぎ人心地ついて外にでたとき、

母は私をみて「おそろしかったの」といった。そのときの
母をほんとに美しいと思った。

       不平も愚痴もほとんどいわぬひとであった。そして冬になると毎日のように機を織り、それで着物をぬうて着せてくださった。

自分も小さいころ、母を「ほんとに美しい」と思ったことが、確かにあった。それは美醜とは違う何かであった。

これに続く「私の祖父」「父親の躾」とあわせて、昔の日本人はこのように育てられてきたのだ、そして自分もまた、そのような大きな日本的「育ち」をしてきたのだろうかと思った。
 宮本が描いた日本と日本人はもう今の時代にはない。おそらくそれがまだどこかにあったのは昭和30年代までのことだと思う。「貧しさ」は日本人の共有するある意味で「文化」の基盤のようなもので、それが高度成長の時代から次第に失われていくと同時に、日本と日本人は変わっていったのかもしれない。
 この年になり、この本を読み、歴史とはまさに「子を失った母親の哀しみ」という言葉を実感するばかり。


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