漱石の話 「文学の淵を渡る」対談 古井由吉 大江健三郎


古井由吉と大江健三郎の対談集、「文学の淵を渡る」、を借りて読んでいる。なかなか高度な内容で、言葉面だけでなく理解するには、文学的教養が必要かも。対談は、1993年から2014年にかけて計6回分。

そのうち二回目の「百年の短編小説を読む」1996年では、この100年の短編小説を一人一作品ということで、35人の作家をとりあげ、二人で論評するもの。一人につき2ページほどを割くばかりだが、きわめて面白い。また日本の小説の100年間の最良のブックガイドになっている。ただし、短編小説のみ。鴎外から始まって、三島、太宰、安倍公房、最後は中上健次まで、自由自在、忖度なしの論評。

最後の対談は2014年の「漱石100年後の小説家」。これは読みやすく、またそれぞれが漱石の好きな本三冊を取り上げる話で、普通の読者にもよくわかる話。

大江は「虞美人草」「こころ」「明暗」の三つをあげる。「夏目漱石という人が「虞美人草」を書き、「こころ」を経て、「明暗」にいたったという流れはよくわかる。それは小説家の自己形成の理想的なものだろうと思います。」という。

古井は「こころ」「草枕」「道草」とあげ、もう一つというなら「夢十夜」。もう一つと言ったら「硝子戸の中」。などと、次々広げていく様子。漱石は、こういう最高レベルの読書家(小説家)にとっても、ある種の「宝庫」なんだと思う。

大江は、 文庫の漱石の「こころ」に古井が解説をつけていたことを覚えている。それを大江が読み上げる:

「無用の先入観を読者に押し付けることになってもいけないので、この辺で筆を置くことにして、最後に、これほどまでに凄惨な内容を持つ物語がどうしてこのような、人の耳に懐かしいような口調で語られるのだろう。むしろ乾いた文章であるはずなのに、悲哀の纏綿たる感じすらともなう。挽歌の語り口ではないか、と解説者は思っている。おそらく、近代人の孤立のきわみから、おのれを自決に追い込むだけの、真面目の力をまだのこしていた世代への。」

二人はひとしきり「真面目の力」について、感想を述べあったりする。

知性とは何か、がよくわかる本、そして自分がいかにものを知らないかがよくわかる本。もう少し生きて、もう少し勉強してみたいと思わせる本。

古井は2020年没、大江も2023年に没した。

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