斎藤幸平「ゼロからの『資本論』」 2023/1/18

以前ここで斎藤幸平の「人新世の資本論」をとりあげたが、今日は斎藤の新作「ゼロからの『資本論』」。資本論の解説本ではない。読みやすく、わかりやすく、かみくだいたマルクスの思想の入門書だった。

というよりも、我々が痛感している現代社会の問題点を、いろいろ描きながら、それをマルクスの思想と照らし合わせて、解説を加えていくもの。マルクスを絶対視するような教条的な本ではなく、これからの日本社会はどうなれば、みんな幸福が得られるのか、マルクスの考え方を援用しながら優しく道を示してくれている、というもの。


資本論をはじめ、マルクスの著作からの引用はあるが、短くてきちんと解説が加えられており、経済学の基礎知識はほとんどなくても大丈夫。多分新聞を読む程度の知識と意欲がある人なら、普通に読めると思う。ただし、マルクスの原文自体は、「古く」「哲学的」なので、これは読み流してもいいかも。

全体として、<コモン(共有財産)の復権>がキーワードだと思う。資本主義の歴史って、我々からコモンを奪い、囲い込みをしていった歴史だから。

我々の日常の中で、コモンにあたるものを見つけ出すこと、それをなくさないこと、あらたなコモンを作り出すこと。これは、もちろん若い世代の仕事なんだろうけど、少なくとも、そういう若者に冷笑を浴びせる老人にだけはなりたくない。

自分は、「資本論」は読んでいない。マルクスは「共産党宣言」、「ドイツ・イデオロギー」、「ルイポナパルトのブリューメル18日」しか読んだことがないので、この本を語るのはまったくおこがましいが、それでも、なかなか知的刺激に満ちた本でした。

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この本を読みながら、メモをとったり、下線を引いたりしたところ簡単に紹介する。そのまま引用もあるし、自分の言葉で書き換えたところもある:

・日本では年収300万未満の単身者の貯蓄額は、30代の中央値が15万円、40代はわずか2万円。雇用者全体の4割に近い非正規の労働者の暮らしで、当然結婚も子育てもできず、老後の貯蓄もできない。

・ 1840年代、ドイツでは貧しい農民が煮炊きや暖房のための枝を森で集めていた。ところがこれを禁ずる法律ができ、農民たちは泥棒として、騎馬警官に襲われた。地面に落ちた枝さえも地主は私有財産として、これを商売の材料にする。「コモン」だったものが、私物化され商品化される資本主義のむき出しの悪意が初めてあらわになった事件。

・資本主義は必要なものを生産するのではなく、売れるものを生産する。マスクは売れないから作らない。だから現代日本で、コロナ発生時にマスクを求めて右往左往した。

・GoTOキャンペーンで「経済を回そう」と言わされて、実際は自分の命を犠牲にして「経済を回させられている」という話。

・オリンピック、カジノ、万博、リニア、将来的に何か国民のためのものになるのではない。すべてが負の遺産になる。今現在の経済を回すことが自己目的化している。

・民営化は、公営国営の非効率的な事業が民主的になり効率よく運営される印象があるが、これは言葉のマジック。言語はprivatization で、直訳は「私物化」。「民営化」こそ強欲資本主義の現れの一つ。

・市場に任せるというときの市場は少しも「民主的」ではない。市場にアクセスできるのは金持ちだけ。医療・教育の公共サービスが民営化され市場で扱われたら、そこから資本を持たない人が締め出されていく。

・利益優先の資本主義的なやり方で一番最初に標的になったは図書館。金儲けしか考えない人にとって「図書館は何も生み出さない永遠の無駄」と考え、徹底したコストカットの対象になった。

・神宮外苑再開発問題では、多くの樹木が伐採される予定で、我々は貴重な都市の中の自然を失う。大勢の人がコモンへのアクセスを失い、企業や富裕層だけが儲かる。

・資本とは金ではなく、金儲けの運動、自己増殖する運動を延々と続けるのが資本主義

・金の亡者は、資本主義にからめとられた人間の宿命。

・資本主義に挑む大胆な労働時間短縮の動きも、国家レベルでみられることがある。フィンランドのマリン首相は「週休3日、一日6時間」を目標にするといった。

・自死に追い込まれるほど過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗えないのか。

・高度資本主義のもとでのイノベーションとは、労働者を重労働や複雑な仕事から解放するものではなく、彼らがさぼらず、文句も言わずに、指示通りに働いてくれるようにするためのイノベーション、つまり、労働者を効率的に支配し、管理するための技術だ。

・そんな「働かせ方改革」が現代まで続いているからこそ、ケインズの予想はあたらないのです。(ケインズの予想とは、資本主義が高度に発達していくと労働時間が減り、人々があまった余暇をどう過ごすかが問題になってくる、というもの)

・無駄な会議、書類作成、くだらないキャッチコピー作りやマナー研修。どれもブルシットジョブです。資本主義が大量の無意味な仕事を作り出している。無駄なブルシットジョブがはびこる一方で社会にとって大切なエッセンシャルワーカーが劣悪な労働条件を強いられている。

・イノベーションは我々の暮らしを豊かにしてくれているわけではない。開発している人も、無駄だと感じているものが多い。

・資本主義のつけを払わされるのは、未来を担う若い世代や発展途上国で暮らす貧しい人々だ。プライベートジェットや豪華クルーズ船に乗る富裕層は、自分らが環境危機の大きな原因でありながら、その責任を果たしていない。

・日本は世界第二位の木材輸入国。国土の7割が心理で、山は杉やヒノキが放置され荒れ放題なのに、安い木材を輸入し、国内の林業を衰退させ、二酸化炭素をまき散らしながら大量に輸入し、外国の森を破壊している。

・自由投資社会では、私たちはすべての行為や選択を投資とみなす。そのような社会の帰結は、究極のコスパ社会。結婚のコスパ?子育てのコスパ?文化のコスパ?民主主義のコスパ?コスパ思想を徹底していくと、世の中の活動の多くは無駄なものにみなされる。コミュニティも相互扶助も、社会の富はどんどんやせ細る。

・マルクスは、近代化や経済成長だけを重視するあり方から脱却して、人間と自然の共存を重視し、富の豊かさを取り戻すことを要求していた。そのような「高次の」共同体社会を実現するために、無限の経済成長はいらない。生産力を無限に上げる必要もない。脱経済成長とこれを呼ぶ。

・資本主義の暴走が進む中、「コモン」の領域を広げようとする動きは、実際に存在しています。市民が出資して電気を地産地消する「市民電力」の取り組みや、インターネットアプリを介して、スキルやモノをシェアする「シェアリング・エコノミー」も広がっている。こうした動きを新自由主義の「民営化」に抗する「市民営化」と呼ぶ。

・市民営化とコモンがひろがった時の市場は、今とは様相がすっかり変わるだろう。人々は貨幣や商品に完全に依存することをやめるだろうし、相互扶助が広がることで、利潤獲得を目的にする動機も弱まるだろう。

・トリクルダウンの神話はもう説得力がない。

・あらゆるものの商品化からからゆるもののコモン化への大転換に向けた、コミュニズムの戦いだ。

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斎藤幸平さんは、最後に新しい「コミュニズム=コモン化」の方向を示している。ただしそれはまだまだ弱い。現実化していくのは、読者それぞれにかかっているのだと思う。少なくとも、自分一人ではできないことだ。

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