長田弘が晩年に書いた「死」についての詩作を、自身が集めたアンソロジー。小説家の川上弘美が解説をつけている。
長田弘が亡くなったのは2015年で、この詩集をまとめたのが2003年、60代前半か。自分もその年を過ぎて、書かれているものの総体が「実感」できるようになった。
人を送り、そして長田もやがて送られていったのだろう。
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
「渚を遠ざかってゆく人」
川上弘美はこれを引用して、まさにこれは、今のわたしの「死」に対する実感である。亡くなった人の記憶が、その実体が、消えてなくなり透明になってゆくにもかかわらず、たしかにその人はまだ、そこにいるのだ。けれど、こちらと交わることはせずに、ただ「遠ざかってゆく」。このように美しく優しくまた透徹して目で、亡くなって人について書くことができるのは…
と書くのだけれど、その理由まではここに引用しない。それよりなにより、自分もまた、全部の詩編のうちで、この部分が一番気に入ったところの一つだったのに、驚く。
もう一遍、これは、少しほろっとしまったのだけれど、「三匹の死んだ猫」:
三匹の猫の個性的な死に方を描きながら、長田はこんな風にしめくくる。
二十年かかって、三匹の猫は、
九つのいのちを十分使い果たして、死んだ。
生けるものがこの世にのこせる
最後のものは、いまわの際まで生き切るという
そのプライドなのではないか。
胸を打つというのは、ちょっと違う。しみじみと届くという印象。長田の詩はとても好き。
わずか100ページに満たない小さな文庫本。620円。
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