レイモンド・カーバー「愛について語る時に我々の語ること」

レイモンド・カーヴァーを読む人の多くは、村上春樹経由ではないのかな。村上がカーヴァーの作品を紹介し、それを翻訳し始めたのが1980年代だったと思う。ある種「カルト的人気」を博した作家だった。1988年にはもう亡くなっている。50歳だった。

短編集である。文章のきれがよい。複雑な心理描写を排して、日常の出来事を日常の言葉で語る。粗野でごつごつして、かっかとして、暴力があって、悲しみと絶望があって、どれ一つからも感情をそぎ落としている、という印象。田舎町に住む平凡なアメリカ人の姿が、短編集の中に次々描かれていて、読むほうは日本人なんだから、たとえばアメリカンニューシネマのミニヒーローたちの姿を思い出したりするのではないか。「イージーライダー」でえがかれた深南部の現実でもいいし、「スタンドバイミー」の子どもたちのその後、みたいな世界、大分違うんだけど、日本人なので・・・

どの作品がどれ、という区別が、読後数時間するともうなくなってくる。ある意味同じ世界が描かれている印象。でも一つ一つは展開が早く、一気に読ませる作品集である。どれも「不気味」な色合いがある。

1970年代から、カートヴォネガットやブローディガン、サリンジャーなどいくつか読んできたが、いつも思ったのは、アメリカ人ってなんでこんなへんてこなもの書くんだろうということ。


コメント

  1. 確かに村上さん経由でカーバーの名前は知ってましたが作品は未読でした。感想を拝読して、私が今読んでいる、掃除婦のための手引き書と似ているような気がしました。ルシア・ベルリン著ですが、独特です。ちょっとヒリヒリするので好みは分かれるような気がしますが、、cahier

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    1. カイエさん、カーバーは読みやすく結構面白いですよ。短編で掘り下げていくタイプではないので、あっさり終わり少し余韻が残る感じ。概ね暗い感じがしますね。人の心の闇のようなものを描いているのでしょうか。50歳で亡くなったカーバー、離婚したのも、一つにはアル中のせいもあったかもしれません。ちょっと破滅的なタイプに見える。
      この時代のアメリカ文学ではカート・ボネガットを一番読んだと思いますが、多分今でも面白いと思います。村上春樹は、カーバーよりずっと、ボネガットに近いと思うんですが、いかがでしょう。

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