映画批評を中心に多岐にわたる文筆活動をしている四方田犬彦が、日本映画紹介のためパリ滞在中に、日本では無名のドキュメンタリー映画監督、ジョスリーン・サアブと出会う。共通の友達ニコルはこんな風に四方田に彼女を紹介する。
「ジョスリーンは戦闘的な監督よ、とニコルがいった。とにかくこの人はやることがすごいの。カダフィー大佐突撃インタビューが手始めで、それから西サハラ民族解放戦線の映画を撮って、ヴェトナムで九十歳の女医さんの映画を撮って、もちろんベイルートでも、あの都市が爆撃と内戦で破壊されていくさなかに、ずっと腰を据えて撮っていたのよ。」
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下の写真は表紙のカバーにもなっている。PLOのアラファトが最終的にベイルートを退去せざるをえなくなった、その退避の船を撮っているジョスリーンの姿だ。
四方田と出会い、ジョスリーンは日本映画の知見を一層深めると同時に、自分の母国でパレスチナ解放のために戦っていた日本人女性重信房子に関心を抱くようになる。その娘重信メイの数奇な運命と合わせて、母と娘の物語を撮りたいというジョスリーンの夢。一方でジョスリーンは骨髄の癌を患う。迫る自らの死とあらがいながら、ジョスリーンの格闘は続く。四方田も、ジョスリーンの友人たちも彼女をささえ、作品の完成を待つ。
いったい重信親子の何がジョスリーンを惹きつけたのだろう。革命の戦士という姿だけではなく、不幸だった自分の母親との関係を重信親子にもかさねあわせて、母と娘という大きなテーマを描こうとしたのだと四方田は考える。だがそれは違うとも…
そして「わたしの名前は、メイ・シゲノブ」は完成し、この短い作品がジョスリーンの遺作となった。
上の写真はジョスリーンの生家。ベイルートの一大財閥だが、父が一代で気づいたものだ。父は長く家を空けることがあり、帰ってくるときはいつもジョスリーンにたくさんの土産をもってくる。そして父の旅の話を聞くのが好きだった。まるで「レイダース」みたいな冒険に満ちた旅の話だったという。この家ももちろん、内戦で破壊し尽された。
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四方田犬彦「さらば、ベイルート ジョスリーンは何と闘ったのか」河出書房新社2022/5/30 初版
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*久しぶりの、巻を置く能わずという作品。ジョスリーン・サアブという映像作家の生き方に圧倒される。そして、重信房子とメイの物語にも。それにしても「日本赤軍」というマークは特別な意味を持っているのは、ある限られた世代の独特な空気の中を生きていた人たちにだけなのかもしれない。重信房子と重信メイの親子の話は、とても普遍的で家族のプロトタイプ的な物語で、とてもよい。
*出たばかりなので、書評はまだ一つも目にしていない。多和田葉子が次のように献辞を寄せていた。
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「遠い鏡に映った他人を映画に撮ろうとするのは、
死が目の前まできているから――。
ここ数年読みたかった本が実際に存在した。」
――多和田葉子(作家)
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