元は、1991年出版の歌集。穂村弘のデビュー作になる。当時、あの大島弓子がこんな帯を書いていた:
「水滴が雪になるように/ことばが結晶化して/歌になる/そして降り積もって/雪野原のような/本になった」
なぜ漫画界の大家の大島弓子がこの新人歌人にこんな素敵な言葉をと思うが、その経緯がまた面白い。小さなエピソードだけど、心に残る話。だから穂村は2021年に新装版を出すにあたって、大島のこの推薦文を再掲してくれることを望んだ。
もう一人、高橋源一郎の推薦文。いつもの源一郎文体なのだが、なかなか読みごたえがある。高橋は穂村のことを語るにあたって、詩人の荒川洋二が(90年代の)村上春樹のことを評している言葉を援用している。高橋の文章はこうだ:
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かつて、荒川洋治が、こんなことを書いた。
「この日本では村上春樹だけが小説を書いている。村上氏の今回の作品は、読者への想像力をこれまで以上にはたらかせ、読者の立つ現実に合うものになっている。『わたしなりの』小説を書いているのではない。いま作者たるものが読者に向けて書くべき小説を書いているのだ」
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高橋は、反論したい気持ちを抑えつつ、そこに真実があることを認める。そして村上春樹が小説で表すように、穂村弘の短歌には「同時代」を強く意識し、時代の中に埋め込まれている自分を読者に意識させるものがあることを認める。そして、荒川の言葉をそのまま借りて、次のように推薦文を締める。
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『この日本では穂村弘だけが短歌を詠んでいる』
1991年の文芸時評で、僕が書き損ねたのは、その一行だった。
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この「シンジケート(新装版)」に掲載される短歌は全て過去のもので、穂村のファンならほとんど覚えているような作品である。
むしろこの本の価値や魅力は、塚本邦雄、坂井修一、林あまり、そして高橋源一郎の推薦文や小評論である。塚本の一押しは次の作品:
子供よりシンジケートを作ろうよ「壁に向かって手をあげなさい」
塚本はこの作品のことしか語っていない。むしろこの一首から広がる塚本の衒学的妄想は、それ自体が一つの塚本作品のようなもの。
林あまりの穂村への共感は、むしろ愛情に近い。
抜き取った指輪孔雀になげうって「お食べそいつがおまえの餌よ」
林はここに恋人との「幸福な時間」と「喪失」を読む。そして次のように書く。
最後の一首を私が忘れてしまうとき…それは私が短歌をやめるときだろう。
さらに穂村本人の新装版あとがきが、とても愉快。この書評とあとがきがのっているp116以降だけでも読む価値あり。
最後になったが、穂村の作品を少しだけ紹介してみる。
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
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ところでこの本の79pにびっくりするような本の購入者へのプレゼントがはさまっている。ほんとにびっくりで笑ってしまう。今回図書館で借りたのだが、大崎市の図書館司書の方、ちゃんとその読者プレゼントを「はずさないで」入れてくれていた。ありがとうございます。 このプレゼントの意味も「あとがき」に書いてある。
お勧め度★★★★☆(4.5/5)マイナス0.5は初出が1991年という点だけ。なぜ再出版したのか、わからない。
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