月刊「短歌」2021.6月号の阪森郁代「自然詠から震災詠まで」の中に、「塔短歌会・東北」の震災10年にちなんだ歌集の紹介があった。5首が短評をつけて掲載されている。
水が欲し 死にし子供の泥の顔を舐めて清むるその母のため 柿沼寿子
半身を水に漬かりて斜めなるベッドの上のつつがなき祖母 梶原さい子
中通りにセシウム積もり炉を洗う原発労働者水も飲めずに 田中濯
米を炊く味噌汁を煮る茶を淹れるために「アルプスの水」買い続く 三浦こうこ
復興は進んでゐますといふ言葉から漏れつづけるCs(セシウム)と水 本田一弘
阪森さんは、この短歌を一つ一つ短評しながら、最後にこうまとめている。
「・・・これらの震災詠は込み入った比喩もなく、読者に直接訴えてくる。解釈もむしろ要らないくらいだ。生きることの切実さが、文学作品として機能している。長く読み継がれていって欲しい水の歌である。」
*どの歌がと選ぶべくもなく、一つ一つに思いがあり、それは「詩」として昇華され、少数の人の心に残り、やがて消えていくのだろう。震災への思いは深く悲しい。それは秘められて黙すほど、深く響き渡るようだ…
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阪森さんは、「水」についての特集の一部として、この震災詠をとりあげたのだが、そのほかにとりあげた水の歌を二首:
爆撃の日もぬるき水吐きゐたる水道に死がしたたり始む
塚本邦夫「装飾楽句(カデンツァ)」
ノアはまだ目覚めぬ朝を鳩がとぶ大洪水の前の晴天 岡井隆「大洪水の前の晴天」
いずれも日本最高の歌人の歌。素晴らしい…
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ところで。この月刊誌を手にしたのは、今年短歌の最高賞の一つ、迢空賞をとった俵万智の作品が載っていたから。俵万智が歌集をだすのは七年ぶり位か。昨年の歌集「未来のサイズ」がこの賞を受賞した。
手洗いを丁寧にする歌多し泡いっぱいの新聞歌壇
抱きしめて確かめている子のかたち心は皮膚にあるという説
子のためにきりあげることなくなって一本の紐のような一日
生き生きと息子は短歌詠んでおりたとえおかんが俵万智でも
制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている
歌集は三部構成になっていて、一部がコロナ禍のこと、二部が震災後に仙台から移り住んだ石垣島のこと、三部が宮崎に移り子と離れて暮らす母の気持ちがメインで書かれている。
俵万智は読みやすい歌を作る人で、正直なところや、スケッチ的なところ(作りすぎてない)があっさりとしていい。一世を風靡した「サラダ記念日」以降もてらわずにこつこつと書き続けている人と感じる。評価は様々だが、この人はこの人、という作風があって、凡庸だけれど、嫌いではない。
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