前回のポスト、辛島デイビッドの「文芸ピープル」で、これから一押しと紹介されている(アメリカで出版予定の人たち)3人の比較的若い女性作家を読んでみた。
津村記久子は「この世にたやすい仕事はない」を探したが、貸し出し中の模様。芥川賞をとった「ポトスライムの舟」にしてみる。
この作品はこの3人3冊の中では一番”普通”。工場のラインにはいって非正規で働く女性ナガセを中心に、一緒に暮らす母親、職場の同僚や先輩、大学時代の仲間などとの交流を通してごくありふれた、ワーキングクラスの女性たちの生活が淡々と描かれる。なんということもない日常の中で、ポスターで見た「世界一周旅行」へのある意味これでもいいかという小さな憧れ。ポトスライムという植物への少し偏執的な愛情など、小道具はどれもこれもなんともささやかなのだが、その程度にはナガセの生きることへの情熱も小さい感じ。イキがらず、坦々と。そのように物語が進み、物語が終わる。
読後感は悪くない。
小山田浩子「穴」はなかなか独特で不気味な作品。
夫と二人、田舎の夫の実家の隣に引っ越すことになった女性が、異様な別世界に引き込まれていくお話。
みたこともない黒い犬のような大きさの動物を追いかけて、河原で穴に落ち、そこから物語が非現実の世界に入っていく。黒い動物とか、20年納屋にひきこもっていたという夫の兄を名乗る饒舌な男、義祖父の死後集まってくる無数の老婆たちと、義兄をせんせいとよぶこれも無数の子どもたちがわらわらと現れてくる。まさに異界の風景。
義母のあやしい言動。考えてみれば自分は夫のことを何も知らない、どこに努めているのか、いつも携帯でメールをうっているその相手は誰なのか、兄は本当にいたのか。幻想と不安と、それにしても凡庸な日常と。女はその不思議な日常にだんだんとなじんでいくような暗示で終わる。
面白い小説とは言えないが、この不穏な感じが次々ページをめくらせる、というタイプ。
松田青子「おばちゃんたちのいるところ」は、生きている人間と死者が入り混じって、ちょっと困った人たちが、まあトラブル少なめで元気に生きている、というような不思議な話。
17編の短編集なのだが、それがどれも円環するようにつながっていて、登場人物も、後半になるにつれて重なってきて、何がなんだかわからない世界へ。古典から現代まで、八百屋お七やお菊や牡丹灯篭のお話など、いろんな女性がみんなおばちゃん風に表れては消え、どれもが連綿と続く命のように、あるいは死後の世界のように、からからと回っては消えていく。なんだかネバーエンディングストーリーのようだ。少し異様で、でも不思議なユーモアがあって印象は明るい。まあ小山田浩子とは対照的な作風でした。
ところでこの本のタイトルには、翻訳家でもある松田さんらしく英語のタイトルもついていてそれは Where wild ladies are. となっている。これはセンダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」Where wild things are へのオマージュみたいなものか?
*いずれも、辛島デイビッドさんや、ほかの気鋭の翻訳者たちが欧米にこれから紹介する作家たち。「クールジャパン」(の一部)みたいな低劣な偽物とは違った、本物の日本の才能が海外に紹介されるのは喜ばしいことだ。
*自分の好みとしては、松田青子>津村記久子=小山田浩子 という感じか。松田の作品はもう少し読んでみたい感じ。
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