ポール・ナースの"WHAT IS LIFE?"は、科学書ということもあって新刊だがすぐ貸出できた。細胞生物学の権威であり、ノーベル生理学・医学賞をとったポール・ナースが、生物学の初学者向けに書いた啓蒙書に近い本という位置づけ。生物学の歴史を追いながら、「生命」の起源と「いのち」の意味を探る本で、小さな章立てで分かりやすい記述がされており、ナースのプライベートな話や、過去の偉大な科学者や同時代の生物学者のエピソードなども交えて、最後まで飽きずに読み終えられる。
ダーウィンやフンボルトやメンデルから始まって、二重らせん、遺伝子工学、ips細胞に至るまで、生物学の歴史の全体像がきれいに描かれれている(ように思える。)ただし、高校生物位の知識では全部理解は難しいかもしれない。
コロナの時代に出版されたもので、「ウイルス」という生物ともいえるし生物ではないともいえる不思議な存在についても簡単に説明をしてくれる。
本筋ではないけれど、彼がイギリスの労働者階級の出身ということに少しびっくり。フランス語ができなくて結局大学に入れず就職するのだが、そこで醸造所の研究助手として働きながら生物学に目覚める話など、少し伝記的要素もあり、DNAの話で疲れた頭にちょうどいい休憩タイムがあちこちに。
で、肝心のWhat is life? ということだが、これ一言で説明できません。その答えを求める本というより、what's life を探し続けている生物学史のダイジェスト的な本といえるでしょう。
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内田樹の「日本習合論」は、これもいつもの内田節で、この人はブレないし、何を読んでもそうなんだよなとうなづいてしまう。自分がもし関西に住んでいたらきっと凱風館(内田の主催する武道と学問の私塾)の門をたたいているだろう。
習合論といっても数学の話ではなく(あれは集合)。日本文化、日本人の精神、日本社会の特質として、一つの極端なものにかたよらず、いろんなものを受け入れて「ゆるく」まとまっていこうという指向があることを内田は「習合」と名付けている(のではと思う。)
『(江戸時代までの)神仏習合は雑種文化の典型的な事例である』
雑種文化、これが日本文化の特徴では、という洞察である。
固執するものがない、流され受け入れ、来るものをこばまない、これが内田のいう『日本的習合』のこと。
この本自体が取り扱う内容は多岐にわたる。
周防大島で若者がとりくむ新しい農業の話、社会的共通資本としての「コモンの復活」という考え方、株主資本主義から脱却せよという話、仕事とは何か、労働とは何かという話。
内田さんがいうのは、自立して考えて行動する人間であれということ。事大主義に巻かれず個としてある自分にこだわりなさい、同時に個である他人を受け入れなさいということなのだと思う。
内田さんの本は、少しも学術的な体裁はなく話題が豊富であちこちに寄り道し、様々なエピソードや余談がちりばめられ、一つ一つが楽しくかつ知的刺激になる。
それが嫌いな人もいるかもしれないけれど、それがこの人の幅の広さであり魅力なのだと思う。著作が多すぎるので(本人も自覚している)、けっこうどこかで読んだ話かなと思うこともあるが。
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