立ちで母を亡くし、義母もなくし、父は病気に。貧しい暮らしだったが、本人は15で日本興業銀行に就職、55歳まで務めた。
関根弘は言う。「石垣さんの詩はローレライの歌のようだ。その詩を効いたものはみな難破する」と。
『崖』
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまつさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
*戦後75年たった今でも、きっとまだ一人も海にとどいていないのではないか。そう思えてしまう。落ちる女、まっさかさまに、そのイメージは何十年たっても強く私の心に残る。
『くらし』
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばつている
にんじんのしつぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙
*暮らしについて、石垣りんは書いた。怖い詩が多い。「父のはらわた」は病に伏している父の姿なのか。自分の涙が「獣の涙」なのか。このように書ける人は少ない。
『洗たく物』
私どもは身につけたものを
洗っては干し
洗っては干しました。
そして少しでも身ぎれいに暮らそうといたします。
ということは
どうしようもなくまわりを汚してしまう
生きているいのちの罪業のようなものを
すすぎ、乾かし、折りたたんでは
取り出すことでした。
雨の晴れ間に
白いものがひるがえっています。
あれはおこないです。
ごく日常的なことです。
あの旗の下にニンゲンという国があります。
弱い小さな国です。
*洗っては干し洗っては干し、それが暮らしで、洗うものは下着だったり、罪業だったり。そうだ、あの旗の下にいるのが、弱いにんげんたちだ。
凄い詩だと思う。そしてちょっと怖い。
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