石垣りんの詩 「その詩を聞いたものはみな難破する」


1920年東京生まれ 2004年死去(84歳)生活の詩人とも呼ばれた。家庭的にも不幸な生い

立ちで母を亡くし、義母もなくし、父は病気に。貧しい暮らしだったが、本人は15で日本興業銀行に就職、55歳まで務めた。

関根弘は言う。「石垣さんの詩はローレライの歌のようだ。その詩を効いたものはみな難破する」と。


『崖』

戦争の終り、

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。


美徳やら義理やら体裁やら

何やら。

火だの男だのに追いつめられて。


とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまつさかさまにする)


それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。


*戦後75年たった今でも、きっとまだ一人も海にとどいていないのではないか。そう思えてしまう。落ちる女、まっさかさまに、そのイメージは何十年たっても強く私の心に残る。


 『くらし』

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばつている

にんじんのしつぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙


*暮らしについて、石垣りんは書いた。怖い詩が多い。「父のはらわた」は病に伏している父の姿なのか。自分の涙が「獣の涙」なのか。このように書ける人は少ない。



『洗たく物』

私どもは身につけたものを

洗っては干し

洗っては干しました。

そして少しでも身ぎれいに暮らそうといたします。

ということは

どうしようもなくまわりを汚してしまう

生きているいのちの罪業のようなものを

すすぎ、乾かし、折りたたんでは

取り出すことでした。

雨の晴れ間に

白いものがひるがえっています。

あれはおこないです。

ごく日常的なことです。

あの旗の下にニンゲンという国があります。

弱い小さな国です。


 *洗っては干し洗っては干し、それが暮らしで、洗うものは下着だったり、罪業だったり。そうだ、あの旗の下にいるのが、弱いにんげんたちだ。

凄い詩だと思う。そしてちょっと怖い。

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