ニューヨークタイムズで取り上げられなかったら、読まなかったかもしれない作品。
2008年に芥川賞を受賞。
三人の女がでてくる。どれも「関西弁」をしゃべる。女とその娘が関西から、東京にいる妹のところにやってくる。といっても狭いアパートで、ほんのわずかの共同生活。何も起こらない、何も高尚なものはない。ふつうの生活、普通の?いや何が普通なのかよくわからなくなる。すべて女の肌感覚、生理感覚から描かれているよう。乳と卵は女のものだ。
大阪弁のモノグローグがとっても新鮮だ。
テーマはいじめ。14歳の少年と少女がいじめを受けている。いじめる子供たちといじめられる子供たちの間に、毎日毎日何も変わらないような時間が滞っている。いじめる側の一人の少年といじめられる男の子が「悪」と「正義」について、まるでドストエフスキーの登場人物のように「対話」する。二人は地獄を抜け出せるのか。
川上は何を書きたかったのだろうと思った。ただのいじめ、ではないはず。才能あふれる筆力なのだが、それでも、何を書きたかったのか、それは「乳と卵」でもいえるのだけど、書きたい内容ではなくて、筆の運びとか、ストーリーのうねりとか、何かそういうものにこだわりがあるのかと考える。力に任せてぐいぐい進んでいくところ。斜視とその治療が大きな転機になるが、心の平和を取り戻す男の子と、いつまでも救われず離れていく女の子という、何か「分裂した」ハッピイエンドは、どうしてもひっかかる。
*うまくまとまらないので、いずれ加筆修正するとおもう。
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