馳星周 『少年と犬』 (文藝春秋)


2020年初版で、2021年の直木賞を受賞した作品。馳星周は『不夜城』はじめ、様々なノワール小説、ハードボイルド小説で有名ですでに一家をなした作家だったが、この『少年と犬』でようやく直木賞をとった。読みそびれていた名作をようやく図書館で借りてきて、最初に家人が読み、あっというまに読了。翌日自分が読みだして、2時間強で読み終えた。

不覚にも、何度か涙した。いくつかの場面でかなりあふれるものがありました。

一匹の犬を主人公にした6つの連作小説で、犬は3.11で被災した女性の飼い犬。その犬が、「旅をしていく」小説で、出会う人6人との短いひと時が一篇ずつのストーリーになっている。偶然犬と出会った人たちは、犬によってその孤独を癒され、人生を再び立て直そうとする。やがて別れがやってきて、犬はその土地を去ることになる。犬は南へ向かう、西へ向かう。その悲しそうな目は何か大切なもの、誰か大切な人を探しているよう。一体何を求めて旅をしているのかと、読者は最終の物語へと導かれていく。

(芥川賞と違って)ああ直木賞ってこんな作品がとるんだなと、納得する一冊。市井のありふれた人たちが、犬との出会いによって、ひと時輝きを放つ。体温の暖かさ、打算のない深い信頼感、よほどの犬嫌いでなければ、このヒトとイヌの関係の最良の部分を読みながら体験できるのではと思う。ありえない話である。リアリズムとは対極のものかもしれないが、夢物語として読めば、これほど心打たれるものはない。最高の読書体験ができる、はず。

以下は、選考当時の評。

選考委員評価行数評言
浅田次郎
男68歳
13「固有の世界観に基き、フィクションでありながらそうとばかりは思えぬ緊張感がある。これはいかに本作が作家の手に合っているかを意味するところで、このさき生み出される作品の基準としてふさわしい。」
宮部みゆき
女59歳
49「お預かりした候補作品を読み、瞼がぱんぱんに腫れるほど泣くなんて、選考委員としてはあまり褒められた話ではありません。しかし『少年と犬』には負けました。完敗です。」「ところで、この短編集のプロットは古典的な西部劇のそれですね。多聞は死の影を引きずる流れ者のガンマンで、(引用者中略)どれほど請われてもそこには留まらない。なぜなら彼には目指す場所があり、そこには命をかけて救うべき子供が待っているからです。「夫婦と犬」で、多聞がクリントと呼ばれるのもむべなるかな。」
北方謙三
男72歳
21「論評を拒否するのではなく、不要にして存在している、と私に感じさせた。犬が書かせたのではないか、という気さえする。この作家の力量はすでに確立されたものであり、どこを取っても欠点など見つかりはしないのである。読んでいて、快感にふるえるような小説であった。」「やっと受賞作家に加わってくれて、心底ほっとしたというのが、私の本音である。」
桐野夏生
女68歳
28「どんな悪党も身勝手な男も、犬の前では素直で優しくなり、犬が南に向かう本当の理由を知る前に、非業の最期を遂げる。犬はまるで、彼らが死ぬ前に現れた神の遣いのようでもある。」「犬の計り知れぬ能力を信じ、犬を愛する者たちに捧げられたシンプル過ぎる、と言ってもいい物語だ。犬が擬人化されて描かれることがなかったのは、作者の、犬に対するリスペクトだろうか。」
伊集院静
男70歳
68「五つの短篇を丁寧に紡いだかと思うと、別篇では新人作家の、若き日の馳節の再来のごとく激情で一気に通り過ぎて見せた。」「私は読む間、何度も「馳さん、マイッタナー」とつぶやいた。」「犬を擬人化するような一文の描写も言葉もなかった。「馳星周は小説中の存在に、こんなにも愛情があったのか」とあらためて感心させられた。作品中の犬がそうであるように、馳星周はずっと走り続けていたのを思い知る直木賞受賞作であった。」
角田光代
女53歳
29「迷い犬が、まるで死のにおいを嗅ぎつけるようにあらたな飼い主を得ては、その死を見送っていくという構成が新鮮だった。」「迷い犬を引き取る人間たちは、一様に「利口だ」「賢い犬だ」と口にするが、その利口さ、賢さは、彼らが、いや私たちのだれもが持つことのできない強さとうつくしさである。」「最終的に私は(引用者中略・注:「じんかん」とともに)受賞作として推した」
高村薫
女67歳
19「人間を類型で簡潔に切り取るハードボイルドに、それ自体は小説的な言語化が難しい犬というモチーフを合わせて、大人の童話に仕立てたのであろう。」「しかし本作は、ハードボイルドとしても動物の物語としても終始平板で深みを欠き、評者には積極的に推すべき点が見当たらなかった。」
林真理子
女66歳
14「構成や文章の巧みさはさすがであるが、私がいちばんに推さなかったのは、各章のテイストが似かよっていると感じたからだ。犯罪者も娼婦も、農業をやる男も、みんな強引に馳カラーに染められた。これも作者の力量ゆえのことかもしれない。」
三浦しをん
女43歳
24「受賞にもちろん異論はない。「犬とは卑怯な……!」と思うも、登場人物全員に絶妙な体臭と存在感があり、随所でまんまと涙した。」「最終話で示唆されるとおり、未だ語られぬ多聞の冒険が本作の背後にひそんでいるはずで、やはり豊饒の小説だと感じた。」
2025年3月に映画化決定 以下は予告サイトです

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