詩人の関根弘が「詩を書く女の人は、どこかそれぞれ怖いところをもっている」と書いたのは、石垣りんの詩集(思潮社)の献辞で。そして関根の言葉は次のような結びになる。
「石垣さんの詩はローレライの歌のようだ。その詩を聞いた者はみな難破する」
朗読会の石垣りんの声はとても綺麗で、とても怖い詩を読んだのだそうだ。
戦後の貧困の中、石垣りんは働き続け家族を支えた。家事のこと日常のことがいつもでてきて、それが石垣らしさだとさえ思う。少し長いが、「くらし」という詩を引用する。
くらし
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずに生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目に初めてあふれる獣の涙。
衝撃的な詩だ。本物の詩の言葉だと思う。同時代に生きて、この人の声を聞いてみたかった。
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年末12月27日の朝日新聞、鷲田清一さんのおりおりの言葉は、石垣りんから。
お嫁にゆく、そのうれしさと不安のようなものを今夜分けあう相手がいないのだ、それで――。
銭湯で、一人暮らしと思(おぼ)しき女性から、衿(えり)を剃(そ)ってくださいと剃刀(カミソリ)を差し出された。明日「嫁入る」のだと言う。前夜に「美容院へも行かずに済ます、ゆたかで…
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ネットではここまでしか拾えなかった。新聞はもう捨ててしまったのでこの続きをお持ちの方は教えていただければありがたい。
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