「未完の天才」は熊楠の伝記。読みやすく、多岐にわたる熊楠の関心と行動を年代を追ってわかりやすくまとめてある。熊楠の全体像を知るのによい一冊だと思う。植物学者、博物学者、民俗学者という研究者の部分と、地元紀州での神社合祀反対運動を通してのエコロジー先駆者としての立場、また天皇への進講の際キャラメル箱で粘菌を献上したエピソード、柳田国男との「山人論争」、ロンドン時代のネイチャーなどへの寄稿などなど、天才の奇行的な部分も含めて、人間南方熊楠をきちんと描いている。タイトルの「未完の天才」とは、いわゆる研究者、学者として狭い分野でとことん研究を続けていくというよりも、広い関心と好奇心で次々と研究対象を移していくところで、その万能タイプの天才を、やや惜しんだ表現か。
TVドラマ「らんまん」で明治初期の東京大学の様子が描かれているが、南方も多分東大に入学し、徹底的に英語を学び、その後一般教養的な部分に興味を失って退学し、アメリカ、イギリスに単身で渡り、大英博物館などで独力で学問を続けている。当時の学者たちは、本当に「語学力」があったのだが、それは、寝食を惜しんで学んだからであり、命がけの学問だったと思う。
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「南方熊楠 人魚の話」(平凡社 STANDARD BOOKS )
南方熊楠の「人魚の話」は、熊楠が書いた短いエッセイをいくつもまとめた短編集とでもいった風情。長いのは「人魚の話」と「人柱の話」で、まあ次から次へと古今東西の不フォークロアとでもいうべき、伝承や古記述、言い伝えなどが繰り広げられれ、蘊蓄がかたられる。しかも、南方の文章は、あちこち飛び回って、いっぱい入ったおじいちゃんのお話のよう。民間伝承が多いから、淫靡な話ももりもりで、文体の難解さはいかほどのこともなく、次々と読み手を誘っていく、なかなかの剛腕の書き手という感じ。なお、新字体に代えられてはいるが、文体はそのままなので、現代日本語ではない。やや読みにくいかもしれないが、少し読んでいると慣れてくるはず。
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柳田国男との関係
柳田国男が「山人」の研究を始めた頃、年上の南方に手紙で教えを乞うた話は有名。7年にわたって文通をしているが、最後は「山人論争」となり、絶縁している。
柳田は山人を現日本人とは別の民族と考え『山人外伝資料』で「拙者の信ずるところでは、山人はこの島国に昔繁栄していた先住民の子孫である」と考えていたのに対し、南方は:
貴下の山男の何々といわるるは、尋常の人間で山民とか山中の無籍者とかというべきものなり。こんなものを山男と悦ぶは山地に往復したことなき人のことで、吾輩毎度自分で山中に起臥したものなどに取っては笑止と言うを禁じ得ず候。
などと手紙でやっつけてしまう。やがて二人の交流は終わるのだが、論争を契機に柳田は山人への関心を失い、その研究対象は「常民」へと移っていく。
日本の民俗学の勃興期の話、「天下をとった」柳田国男と在野の巨人、南方熊楠。それぞれの端に二人がいて、知の領域が広がっている感じ。大分違うところもあるが、牧野富太郎と東大植物学の関係を少し思い出させる。ちなみに、牧野と南方は同じ植物学をやっていてどちらも在野の人ということだが、実は仲が良いとは言えず、牧野は南方の追悼文に失礼なことを書いたと、ちょっと南方研究者の間で評判が悪いとか。詳細を知りたい方は、「未完の…」を読んでみてくださいね。
下は牧野が南方に送った手紙。標本献呈のお礼だとか。
熊楠、昔から大好きです。とんぼの本ほか数冊持ってますが、人魚の話や未完の、、は読んでいないかも、、久しぶりに名を拝見できてとっても嬉しいです。クマグスの森、開いてみたくなりました!
返信削除カイエ
カイエさん、コメントありがとうございます。お元気な声きけて何よりでした(^^♪ 南方熊楠をお読みだったんですね。そういう人はかなり少ないかもw 私も伝記的なものとか研究書のようなものは読んでいましたが、熊楠の肉声そのものは、なかなかハードルが高くて、手が出ませんでした。この平凡社のシリーズは、今宮本常一を読んだばかりでしたが、とにかく読みやすいアンソロジーで、私などにはぴったりでした。熊楠はまあ明治の人なので、文章もわかりにくく、旧字体だと厳しいですが、こちらの本は新仮名遣いなのでなんと読めました。パワーあふれる豪快な文章ですね。
削除宮本の方は、これまた傑作と呼ぶべきエッセイが集められていて、久しぶりに「知的感動」を覚えた次第です。