「ツミデミック」一穂ミチ(光文社) 2024年上半期直木賞受賞

初めて読んだ一穂ミチさんの短編集「ツミデミック」昨年の直木賞受賞作品である。
ツミデミックという不思議なタイトルは一穂の造語で、パンデミックのもじりなんだろう、罪を犯す、罪に値する出来事や人物を集めてみた物語、くらいの意味かな。コロナ禍で世界全体が閉塞していたほんの数年前、様々なストレスが人々を押し包み、人の暗い部分が顕在化してきたあの頃のこと、というモチーフですかね。

最初の短編二つを一気に読んで、「あ、これは嫌ミスだな」と思った。ストーリーはうまく展開するし、登場人物の心もわかるのだけれど、ハッピイエンドじゃない、後味が悪いタイプの小説のことだが、三つ目で「さらにオカルトまででてきたよ」と思った。でも悪くない、テンポが素晴らしい。そして四つめ「特別縁故者」で急遽印象はポジティブに。それはまあ多少はほっとする展開が欲しいもの。最後の二つは楽しく読めた。

コロナ禍で進んだ社会の変化、フード・デリバリーとか、トクリュウ事件とか、集団自殺とか、ウクライナ侵攻とか、うっすらと背景として利用しながら、個人の平凡な日常が少しずつ変化し、社会の目がちょっときつくなって、それがストレスとなり、心にも行動にも影響を受け微妙に歪んでいく姿を、うまくかき分けていると思う。なかなか手練れの作者です。できればもう一冊この手の「嫌ミス」系じゃないのを読んでみたいと思った次第。

以下に直木賞選評当時の、委員の意見。今回は高村薫の評が腑に落ちた。



一穂ミチ女46歳×各選考委員 作家の群像へ
『ツミデミック』
短篇集6篇 396
年齢/枚数の説明
見方・注意点
選考委員評価行数評言
京極夏彦
男61歳
27「犯罪めいたものごとは起きるが、それも主題ではないだろう。むしろ日常への回帰という安心できるパターンの反復なのである。」「視点人物の内面に踏み込み過ぎることなく、離れ過ぎることもない。その加減は絶妙であり極めて真っ当でもある。願わくはこの安定感の上にひりつくような毒を盛りたいと思うのは贅沢だろうか。」
角田光代
女57歳
32「どの小説もみごとに技巧がこらされていて、どれも色合いが異なり、なおかつ現実味を失っていない。」「遠くの国の戦争も、隣家で起きていることも、あるいはニュースで見る犯罪も、自分とまったく関係のないどこかのことではなく、今生きている私にあらゆるかたちでつながっているように思わせてくれる、そうした日常的なバタフライ・エフェクトがみごとに描かれていて、そのちょっとした効果は読み手にまでも確実に届く。」「圧倒的な支持で「ツミデミック」の受賞となった。」
三浦しをん
女47歳
31「『ツミデミック』を推し(引用者中略)た。」「コロナ禍を小説のネタなどとは決して思っていない、誠実で真摯な姿勢に心打たれた。」「一穂氏の小説はうますぎるがゆえに、よさを言葉で説明するのがむずかしく、ただ感じ、味わうほかないのだが、登場人物になりきり、自分とはまったく異なるひとの日常を生きたかのような、圧倒的な没入感を私は覚えた。ずるさもまぬけさも、断罪や価値判断されることなく、ただ「ある」。」
林真理子
女70歳
15「コロナ禍がところどころに用いられているが、その加減のよさが作者の技量を示している。」「どの作品もバラエティにとみ完成度も高い。が「燐光」の一作だけが、かなり唐突な幽霊話で、全体の香気を落としているようで残念であった。」
宮部みゆき
女63歳
40「この作品が受賞したことで、直木賞の歴史に新型コロナウイルスを「記録」することができました。パンデミックによって「変わってしまった」「失われてしまった」「歪んでしまった」日常を描いた六つの短編を集めた本書を読む多くの方々は、登場人物たち誰かの物語の上にそれぞれご自身の体験を重ね、またそれぞれの「消化」や「昇華」のけりをつけた上で、今後も記憶し続けることでしょう。」
浅田次郎
男72歳
21「思わず膝を打つ短篇集であった。文章はよく研がれて余分がない。視点者の内面を文学的に書いているのはこれだけと言ってもよかろう。つまり、小説らしい小説であった。」「この作品集に収められた短篇はいずれも、今日のささやかな悩みを上手に摘出し、現代社会の文学的解釈に成功している。」
高村薫
女71歳
22「等身大の若者たちや家族の姿は、どれもエンターテインメントとしての過剰さや歪さを纏わされていて、実はけっして等身大ではないが、そのセルロイドのような人工的な手触りが読者を刺激するのだろう。」「後味の悪さも異常さも短編の魅力の一つではあるが、個人的にはここまでつくり込まなくても、と思う。」
桐野夏生
女72歳
13「タイトルが、パンデミックのもじりであるとは、指摘されるまで気付かなかった。」「全体的に薄い味付けである分、この作者のさらりとしつつも、こくのある旨みがよく出ている。「特別縁故者」が秀逸だった。」

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